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いくつかのメッセージ

2010年05月24日
今朝は高次の存在を身近に感じ、あらゆる言葉や感覚が入ってきました。いつものように私の中で受け止めてわくわくしていましたが、今日は久しぶりに書き表したいというわくわく感が強くなったので、そうする必要を感じ、時間にしたら30分ほどだと思いますが、今、湧き上がるがままに、下記の内容を書きおろしてみました。実にたくさんの高次の存在を感じ、その代表のような方からメッセージをいただいたり、混合したような形でいただいたりしましたが、いくつかの話題を書かせてくれましたので、そのまま掲載します。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

またとないこの機会に、あなたとこうして心を通い合うことができる喜びを深く感じて感謝します。

あなたの向かおうとしている道も、あなたが意識的に歩んでいる今の道も、今の世における普通に暮らすための道とは、かなり離れている道でもあるわけですから、あなたの歩む道の参考になることはあまり多くは情報として得られることができないでしょうけど、あなたの歩んでいる道を情報として得ることによって、この先をどのようにして歩んでいくのか、どのような意識で足元と先を見据えるのか、そして3次元の世と多次元的な意識とを、そのようにバランスをとって歩んでいくのかといったことの、大いなる参考にはなると感じる人も少なくはありません。


あそこに見える光を得るために、あらゆる手段を使って歩むのもよろしいのですが、その光が必要な光であれば、何も苦も無く、かといって何もしないわけではなく、光を与えられるのにふさわしい道を歩むことに努め、ふさわしい波動を放つように意識を高めてさえいれば、その必要に応じて光はあなたのもとへと近づき、必要に応じて得ることができるようになるのです。


天照大神は誠の神なれど、人の形などしておらぬことは承知の通り。されども、人の目線から想像し、人にわかりやすく表現すると、天照大神も人の形となってしまう。人の想像力とは、本来の形すら変えることもできるし、あらゆる形に変化させることもできる。

木の形も、水の色も、山も谷も、人の意識が作り出した形であり色であることを、また、今、思い出すこと意義あり。今の3の世でも、人の意識で形は作れるもの。ましてや、4の世、5の世ともなれば、意識1つで形はたやすく作れるもの。変えられるもの。でも、3の世では、物をすぐに変えること、得ることは、意識一つですぐにできる物もあれば、そうでない物もたくさんある。お金とは、はかない物ざのうと思いつつ、3の世では物を変えるのにも得るのにも大きく役立つものでもある。もうまもなく今の世が光の世へと変わり、4の世、5の世へとなるまでの、はかない間ではあれども、今は日本の世で生き抜くには必要不可欠であるわけざから、やはり無視するわけにはいかぬ物。人として転生したことのない者にとってみれば、何だかこれ不可思議なこと。ゆかしきこと。おもしろきこと。


明日探せばよい物を、今日得ておけば最良と思うこと。これ人の欲なり。明日が必要であれば、明日でよろし。必要は与えられる。必要は与えてあげられるのじゃ。


見えない物を見たいと思うこと。これも欲なれども、我欲ばかりとはいえない。その好奇心、探究心は、叡智を得るために必要な場合もあるから、あれもだめこれもだめというものではない。かといって、見えぬものは見る必要のないものである場合もある。その必要のない物を無理やり見ることによって、バランスを崩し、目の前がふらふらになり、あれは見ることを止めれば良かったのだと後悔することになることもある。

後悔は自分自身の意識がすること。見た物のせいでもなく、見せたもののせいでもなく、自分自身が選択したことによるもの。自分自身の意識。だから、すべては自分の責任において解決し、後悔を学びと活用にできるのか、はたまたさらなる後悔と怒りのどん底に落ちてあらゆる低いものを呼び込みのかは、すべてが自分次第。宇宙はすべてに対して平等である。波動の法則もカルマの法則も完ぺきに働いているのだということ。


虫メガネで見るような小さな物も、大きくてはっきりとしている物も、みんな魂を持って存在しています。特にあなた方が「生き物」であると認識している物すべては魂を持って存在していることは、もう承知している人がこの文字を読んでいるわけですが、認識しているだけでは、なんだかとても残念なこと。認識していて、どのように実生活に活用し、命を大切にしたり慈しみの気持ちを抱いて命ある物と接したりすることができるのかが大切になります。


今、世間では牛の病が話題になっていますが、だからといってまだ元気な牛を殺してもよいものなのか、ワクチンを平気で打ってもよいものなのか、なんだか、すべてが人間にとっては有益である、つまりお金としての利益が上がるという3次元の世の道理に基づいて行われているわけですが、少しでも慈悲の思いの中で、意識と行動を選択してほしいと願うばかりです。

でも、結果として世の人の中に牛を食す機会が減れば減るほど、負のカルマは減り、波動は高まるわけですから、同じ命を奪うという点で行けば、これもポジティブな現象ともいえるでしょう。でも、所詮は同じ結果を人が自己責任を持つ中の自由意思によって選択していること。どのような大義名分があっても、命あるものの命を奪うことには変わりないわけですから、それ相応のカルマがめぐることによって、その選択に見合った現実はやってくるのです。

そもそも、今のような利益を得るために飼っていた牛を、処分(殺生)することでネガティブに感じるような状況も、これまでの殺生を繰り返してきたカルマでもあるわけですし、世が光の世へと移り変わるために、牛たちが生前に魂としての同意のもとで、命を投げ出すことによって、人に気づきを与えるために起きた出来事でもあるわけです。

2010.5.24 10:30



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