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義務教育における不登校について

2009年12月24日
*以下の内容は2008年11月11日に当ブログで掲載した内容の一部を改訂して転載しました。

日本の法律のもと、小学校や中学校は義務教育(国民がその保護する子女に受けさせる義務を負う教育~広辞苑~)ということで、子どもが学校に登校しているか、または登校できない状況であっても登校しようという意思があるかといったように、学校に行くことが当然の義務でもあり良いことでもあるとされて、子どもの意思で登校していないとか登校したくないという意思を表すこと自体がネガティブに思われるというのが、現状の日本の一般的に多くみられる固定観念であり、当然のような価値観として捉えている人が多いというのが現状です。

この義務教育に関するメリットがたくさんあることを多くのみなさんが認めているわけですし、私ももちろん認めていて、つい4年半ほど前までは15年間ほど公立学校の現場で教育に携わっていたわけですから、別にすべてを批判しているような立場ではありません。しかし、スピリチュアルな観点から捉えると、大きな根本的にネガティブである状況がいくつかあることは真実であり、その真実を常に意識しながら学校教育に関わっていくことが大切であると強く感じ、よりポジティブな実生活を送るためには必要であると感じています。


全ての人には自由意思があって、本来、宇宙における道理によれば、その自由意思によって選択することがすべての人に認められるべきものであります。ただし、より道理に適ったポジティブな選択をするには、最低限の調和や習慣や知識や愛が必要になります。しかし、3次元の世に生まれたばかりの人間の子どもは、生まれた時点では意思表示する手段が乏しく、自力で動くことや自分を管理することも難しいために、移動したり栄養を得たり外部のあらゆるものから守ってもらったりして生命を保持するには、親とかそれに準ずる立場の人などの多大なるサポートが必要不可欠なものとなります。そして、生まれた時点から時が経つにつれて、徐々に成長しつつ自立していき、やがて最低限の調和や習慣や知識や愛などといったことを身につけて最低限の自立を果たしたとき、今の世の社会的に大人という立場として、自他共に認められるようになっていきます。

この自立する過程において、まだ、それほど精神的にも物質的にも社会的にも自立することができていない子どもと呼ばれている人たちが、大人からのサポートが必要であると感じたり、子どもだけの責任の中では判断するのが難しいことを感じたり、子どもの選択しようとしていることよりも、より良い選択方法や選択すべき事象があると感じた時に、気づいた大人もその子どもとの関係におけるより良い調和の中で、子どもの自由意思を尊重しつつも、ともに考えたりアドバイスをしたりするというのが、理想的な家族もしくはそれに準ずる関係の在り方だと思います。


義務教育の学校現場では、子どもたちが学校で過ごすための時間も人も内容もほとんど自由に選択することができません。多くの根本的なことは枠決めが成されていて、その範囲内でしか自由は許されず、時間・内容・人に関しての自由意思による選択はほとんど許されず、個を制限されてより集団化された中で、学校側の決められた体制のもとで行うといった制限が果たせられます。

義務教育の中では、子どもが学校に登校してから、多くの授業受ける時間数を子どもの自由意思で選択することは難しいです。教師すら選択することもできません。授業内容を選択することもほとんどできません。集団(クラス・学年)を選択することができません。根本的に制限によって縛られていて、今の世の大人の価値観や固定観念を植え付けられることが多くて、スピリチュアルなことは無縁に近く、物質的な知識を伝えられ、順位やランク付けなどによって競争心という不調和が生じる価値観を日常的なものとして教えられる・・・etcといったことが、平然と行われているという、宇宙の法則とは相反するような根本的にネガティブな状況が、教育という名のもとにたくさん存在しています。

今の世の日本の価値観や固定観念からすれば、義務教育といわれる期間に登校しないことを選択するということは、社会的な枠から外れているとか、親もしくは子どもになにかネガティブな要因があるのではないかとか、現実の中で何かを逃避しているのではないかとか、とてもネガティブに思われるということが一般的です。そして、教師は登校するように促すことを義務と感じて、家庭に押しかけたり電話や手紙などによって説得したりするのが普通であり良いことでもあると思いこみ、学校内では問題児として会議の中でその状況が報告されて対策が話し合われる場合があります。もちろん、学校に登校していない子供や保護者に対して、何も対処せずにいることが望ましいとは思いませんが、少しでもいいからよりネガティブな固定観念を手放して、もっと愛を持ち相手を尊重し、学校教育者としての領域と立場をわきまえて対処してほしいと願っています。

私も、4年半ほど前まで約15年間公立学校の教育現場にいましたし、1000にほど児童のいる小学校の生徒指導主任という立場も経験してきましたし、妻も私と同じくらいの年数を小・中学校で勤務していたことや、私も義務教育を受けている子どもを育てている最中であることや、いまだに知人で教育関係の仕事をしている人も多くいることなどから、学校内の状況はいまだにそれなりによくわかっていると自負しています。
そんな中で、特にここ1,2年で感じることは、世の中の人の波動が、高い波動の人と低い波動の人の差がどんどん大きくなっていますが、教師の場合はその幅の開きはさらにとても大きくなっているように感じられますので、とてもわかりやすい状況になってきているということです。


以下の内容は、そんな学校教育に対して、タエヌ家の保護者としての私と妻の様子や、子どもたちの現在の様子がどのような状況であるかということを書いてみます。内容をお読みいただきましたら、どのように感じられるか、どのように捉えられるか、どのように参考にして取り入れるかなどに関しましては、すべてお任せいたします。もし何か少しでもポジティブになるような参考になる様子がありましたら、実生活や意識や知識などに取り入れていただけると幸いです。

《以下は1年前の状況なので、現在我が家の子どもたちは、1学年上に進級しています》

私には家族として共に暮らしている子どもが4人います。中3の長男シュー(仮名)、小6の長女グミ(仮名)、小2の次女アマンダ(仮名)、5歳半の3女デンプ(仮名)ともに、毎日充実した日々を送っているようです。

3女のデンプは、もし幼稚園や保育園に通っていたら年中組になるわけですが、4か月前の7月末に退園して以来、自らの意思によって保育園には行かずに自宅で過ごすことを選択して、今も自宅での実生活を楽しんでいます。

他の3人の兄も姉たちも保育園に小学校へ就学する直前まで通っていたし、デンプも1歳になったばかりの時から今年の7月までの間、ずっと保育園に通っていて、リーダーシップを大いに発揮して友達も多くいたし、先生方にも認められていて大事な場面やまとめ役を任せられることがありました。今でも、3歳まで行っていた保育園の話をしたり写真を見ながら思い出話をすることがありますし、今年になって新しく通っていた保育園に関して短い期間でしたが同様にしていますし、保育園で仲良くなった友達と近所で会うと、一緒に遊んだり楽しく会話を楽しんだりしています。

私も妻もそんな様子を見るたびに「そろそろ保育園に行こうか~!」と何度も誘いました。また、つい先ほどもあったのですが、妻も私もアセンションスペースシューリエのお仕事に専念している際に「あそぼ~」とか「~をやって~」とかと関わりを求めてくると、それを今は都合上受けられないことや、そういった要求を満たされたいのなら保育園に行くべきだということを伝えると「わかった。がまんして待つ。保育園には行かない」と言って家にいることを選択しています。昨日の夕食時の話の中で「小学校に行くようになるまでずっと保育園に行かないのか?」と聞くと、「それはわからない」と言っていました。保育園が嫌なのではなくて、どちらも楽しいと感じている家と保育園とを比較して、より楽しいと感じるのが今の時点では家であると感じているための選択であるということのようです。 (結局現時点の平成21年12月の時点でも保育園には通っていませんので、このまま小学生になりそうです)

もちろんデンプは、明日から行きたいと行ったからすぐに保育園に行くことはできず、申し込んでからはしばらく期間がかかることも知っていますし、一度行ったらすぐに退園することは難しいということも十分理解しています。総合的な物事の捉えかたや判断力は長男よりも上ですし、最近は人と接する機会が他の同年代の子よりは少ないのに、人との調和の図り方も上手でとても感覚的に人や物事を見極めています。親としてはその他の学習面等の様々な面から天才(?)と感じているデンプの自由意思の表し方は、その時点では総合的に判断したゆるぎないものであると感じてしまいます。

長女のグミも次女のアマンダも、引っ越しをする前の昨年度まで通っていた学校の友達も先生も大好きで、毎日ワクワクしながら通っていました。4月に転校した今の学校では、最初のうちはすぐにはなじめなかった友達とも、今ではすっかりとなじんで楽しんでいるようです。しかし、担任の教師のネガティブな指導の数々は、どんどんエスカレートするばかりでして、それはそれは実例を挙げると驚くべき事実がいくつもあります。特に長女の担任はものすごい状況でして…私もグミもそんな担任の言動に対して、とても憐れでかわいそうに感じています。

それでも、グミは学校に行くことを選択しています。これまでにグミはたびたび教師を批判したり「学校がつまらない」とか「体育をやりたくない」とかと愚痴のように言ったりしていますが、そのたびに「学校休んでもいいんだよ」と私が伝えています。でも、結果的には自らの意思で学校に行くことを選択しています。友達関係は良好のようですし、個人的に何かあったわけではありませんが、授業内容が楽しくないとか、一部のクラスメイトのネガティブな言動がきつく感じることがよくあるようです。

私はグミに対してもアマンダに対しても、この日記の内容に書いたような義務教育の現状の捉え方や自由意思の観点の話は何度もしてきていますし、あの子たちなりに分かっていると感じています。また、我が家では子どもたちの自由意思が通って、もし学校に行きたくないと親に伝えれば、それが実現することは十分に分かっていますし、もし選択方法を考えなおしたり修正したりする方が良いような場合には、それなりに指摘されたりアドバイスを受けたりすることも分かっています。

そんな中、アマンダは1度だけ自由意思による選択で学校を欠席したことがありました。また、1度は大幅に遅刻して登校したこともありました。宿題をやりたくないと愚痴る時も「やらなくても良い」「先生には親の立場からきちんと話してあげる」と何度も伝えましたが、宿題をやることを自由意思により選択して、毎日宿題として出される量としては信じられないようなたくさんの量の宿題をなんとかこなしています。(本当にものすごい量なのです・・・)

結果的に、我が子たちは小中学校には通うことを選択しています。でも、これは行かされているとか、義務だから渋々行くとかではなく、自由意思の選択によるものです。また、それぞれの発達段階にもよりますが、ポジティブな教えもある反面、先ほど書いたような制限や強制や宇宙の道理に適っていない固定観念や価値観も教えられているということは分かっています。私は、そのような真実とはずれていることが子どもから伝えられるたびに、本来の真実であると私や妻なりに感じている観点の話をします。でもやはり何を信じて何を得るのかは、子どもたちの自由意思による選択に任せています。

デンプは一般的な固定観念や価値観からいえば、本来は保育園か幼稚園に通って、もっと大きな集団である小学校に備えた方がよりスムーズであるということになるでしょう。つい先日は、隣に住んでいる方から「保育園をやめちゃったんだ・・・。行かせてあげればいいのに~かわいそうに・・・」と、妻とデンプが家の前で遊んでいる時に言われたそうです。妻は「デンプが行かないというので行っていないだけです。失礼します。」とだけ、にこやかに淡々として伝えると、唖然とした顔をして固まっていたそうです。

幼稚園や保育園は義務教育ではありませんが、行くべき場所であるという固定観念は根強いのはわかっています。また、実際に通うことによって様々な学びがあり、子どもたちの成長にはたくさんのポジティブなものをもたらされることは、私も妻もデンプも十分に承知しています。でも、十分に承知した上での自由意思による選択は、親としても子どもなりにも自己責任の下で行っているわけですから、行かないという選択には何一つネガティブなものはないと信頼しています。

小中学校の義務教育というものを受けている3人の子どもたちも、今は学校に行って学びたいという選択をしているのでそのサポートを、全力を挙げて行っていますし、それはそれで素晴らしい選択をしていると感じています。でも、もし行かないことを選択したとしても、親としての受け止め方はまったく同じです。学校に通うことよりも、家にいること、もしくはそれ以外の場所でも身を置きたい場所や過ごす内容を自らの意思によって選択するという、ある意味ポジティブな自立を果たすための大きな成長をしているということによる我が子に対しての捉え方は、何一つ変わらない素晴らしいことであると感じることを信頼していますし、同様に全力を挙げてサポートするでしょう。

私はスピリチュアルな自分の感覚や価値観を信頼しています。ただし、常に世間の情報や価値観や出来事などを参考にして、ポジティブに受容できることは取り入れているので、私の信頼している価値観は流動的なものでもあります。でも「今」の時点で得ることができていて真実であると信頼している価値観は、世間のあらゆる意見や比較や固定観念や価値観によって、すぐにゆらぐことはありません。また、今の世において子供の頃からこれまでに、常識であるとか正しいとか当たり前であるとかと教えられてきたことや、いつのまにか習慣になっていたような3次元的な価値観にとらわれた行動や意識に関しても、常に気がつくと意識的に「今」真実とわかっていることに変換しています。私は、子どもたちに対しても、常にこのようなことも日常的なアドバイスとして与え続けています

追伸です・・・これはあくまでも私と妻の現状での捉え方であり、家族の中の実態であります。このような捉え方をしていて、それを実際にも実生活で活用している1つの実例として、ご参考ください。


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