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必要なものはもたらされる

2009年11月20日
*この記事は2009年2月20日に掲載した内容を転載しました。

石垣島に行く(2009年2月12日~15日)前日の夜のこと。いつものように夜9時少し前に寝床について、すぐに眠りました。が…、まだそれほど眠った感覚のない時間にふと目が覚めてしまい、私の肉体に何かが入ってくるような気配を感じたのですが、あまりにも高い波動を感じたので、喜んで受け入れることを選択しました。

その次の瞬間、これまでに見たこともないようなとても美しい金色の光を放ったウニのとげのようにたくさんの細い金線のついた玉が、頭上からゆっくりと降りてきて私の頭頂チャクラより肉体に入り込んできました。そして、第3の目の奥のあたりに位置した直後、その金色の玉がはじけてものすごい光が分散され、私の全身の端々まで光が広がっていくのを感じました。肉体の感覚は、なんともいえない脱力感とごくわずかな振動での震えが少しの間続き、スーッと光が体になじんだと思ったら、単なる暗い部屋に寝ている私が在りました。時計を見ると夜11時。久しぶりに、はっきりとした意識の中で、視覚的にも感触でも物質的にも、とてもはっきりとした感覚でスピリチュアルな体験をしました。

その後、今のは何だったのだろう…?とあれこれ考えてしまい、しばらくの間眠れなくなりました。直感的には、何か大きなエネルギーが入ってきたのだろうというとても抽象的なことのみ感じただけですが、金色の光が入ってきたということは、たくさんのお金が入ってくるという知らせか!?というエゴや、このあとにも何か素敵なことが起こるのかも・・・というわくわく感などが大きくなりました。でも、結局、いつのまにか眠っていて、3時半ころには起床し、旅支度を始めました。

あの日から1週間ちょっと経ちますが、物質的にも周囲の状況も、特に大きく変化したと感じることはありません。でも、自分自身の感覚が以前よりもさらに研ぎ澄まされて敏感になったことや、マイナスエネルギーに対する防御したり浄化したりするような力が増したようには感じています。

ちなみに、このようなはっきりとしたセンセーショナルな経験をすることは、私にとってはたいへんめずらしことなのです。普段、私が感じているスピリチュアルな世界もエネルギーも、とても微細な感覚の中において顕在意識で感知しているために、自分の思考なのか高次から与えられたインスピレーションなのか…私がイメージした映像なのか霊眼で捉えている映像なのか…などといったところの識別は、とっても微妙な領域のものとなっています。

私は、この識別を、これまでの経験による直感で行っていますので、人に質問したり教えを受けたりしたことはありません。しかし、多くの人との対話によって、疑問から確信へ、そして大きな信頼へと私の顕在意識において変化していったことは事実ですし、このような経験がなければ、今のようなブログに書いている内容を公開するには至らなかったと思っています。

この、人との対話による経験とはどのようなことかといいますと、これはまだ私が人のために役立てることができる霊的能力を授かったかもしれないと感じ始めた6,7年ほど前のことですが、人から相談を受けたり真剣な話をしたりしている時などに、私は何かスピリチュアルなことを感じようとか見ようとか聞こうとか、守護霊様をはじめとする霊的存在を知ろうとか見ようとかメッセージをきこうとかといったことを、顕在意識で意識しなくても、5感(視覚・触覚・嗅覚・聴覚・味覚)以外であるスピリチュアルな感覚で知ることが許され、それを顕在意識で認識できるようになっていると自覚し始めました。そして、知ると同時に、それを相手に知らせる義務のようなことも感じたので、そのことをもとに感覚的に表出する言葉を伝えると、その内容が相手の心に響き、ある時は問題解決の大きなカギを握っていたり、ある時は必要としていた話であったりするなど、とてもポジティブな結果をもたらすことが続きました。

これは、5年近く前まで就労していた教育公務員時代のことですので、保護者や子供に対しては、それなりに3次元的な物質的表現にして話しましたが、職員や友人などのストレートに話せる人に対しては、そのまま感じるがままにストレートに表現していました。おもしろいことに、この頃は「はずれる」ことはほとんどなく、感じる状況はことごとく「当たって」いました。今の私は、当たるとか外れるとかといった表現は用いませんし、あの頃以上に私が感じることや知ることを許されたことに感謝して、そのまま感じるがままにストレートに表現することに徹しているために、そのような相手の方がどのように感じられるかという相手の領域に関しましてはそれほど気にしていませんが、あの頃は、相手の反応がとても気になっていました。でも、そのことによって、少しずつ、このような霊的能力をより信頼するに至ったのが事実です。

その後、教員を辞職した後、お金をいただいてスピリチュアルカウンセリングやレイキなどのスピリチュアルなお仕事を始めてからも、さらに自分自身の霊的能力が徐々に研ぎ澄まされていくことを実感できるように、無理なく必要に応じたご縁をいただいてきました。でも、時には自分自身のエゴや不安が出てしまい、スピリチュアルな感覚から感じられることがないと焦ってしまいネガティブな情緒が出てしまったこともありました。それでも、感じたことをストレートに言葉で表現する姿勢は崩さないようにしていたために、人によってはオーラの色が見えなかったこともありましたし、前世や守護霊様が分からないと伝えたこともあったために、人によっては期待はずれに感じられた方もいたと思います。

でも、今になって思えば、そのようなみなさんに共通して言えることは、スピリチュアルなことばかりに気を向けすぎていて、3次元的な現実を逃避していたり他人や物事に依存し過ぎていていたりする人に多いことがわかりました。また、ここ1,2年でご縁をいただく方に増えてきたのですが、ご自身のスピリチュアルな能力が高いために、私をあてにせず、自分自身で感じる必要がある方の場合も、私が知ることを許してくれない場合もあることもわかりました。


《私たちは、皆同様に、自身の人生を、意識的に生き抜くべきである。》

私は、今の自分自身の行っているすべての仕事(人のため、地球のため、宇宙のために行っていること)を、私のわくわく感に従って意識的に行っています。この、意識的とは、すべての仕事に対する動機は「愛」であるということを、常に確認しつつ行っているということです。そして、そのためには自分自身の光をできる限り最大限に輝かせるような実生活を送る必要があると意識しています。

では、実生活を送る中でどのように意識しているかといいますと、自分の魂を信頼し、護ってくれている高次の存在を信頼し、感覚を信頼し、自分の意に従って、自分なりに周囲との調和を重んじ、できるだけ自分のペースを守って無理せずに、必要と感じたことをより多く習慣化し、自分なりに足元である3次元的な物事をよりスムーズでポジティブに解決していき、スピリチュアルなこともわくわく感に従って取り入れ、自分らしく生き抜こうと意識すること。ただ、それだけで良いと思っています。


《他者の人生に介入する権利を持つ者はいない。》

《全ては、一時的に分化しているそれぞれの決断に任されている。》

《他者を、判断(judge)してはならない。》

《行うべきは、識別(discriminate)である。》

以前、オムネクの不干渉の法則に関するブログの内容の通りです。私は、今のお仕事全体を通してもそうですし、実生活も同様ですが、特に人に対してアドバイスを与えたりヒーリングをおこなったりするお仕事をするにあたっては、はっきりとした線引きは難しいことではありますが、このことを強く意識することはたいへん重要なことであると感じて実行しているつもりです。


《何かをしようと、気負うのではない。》

《全ての物理的、三次元的現象は、結果として、生じるのである。》

《必要なものが、必要なときに、必要なところへもたらされる。》

物ごとすべてに対して、動機がどのようなことであるのかということが、最も基本的に意識すべきことであり、たいへん重要になっていきます。そして、動機が「愛」に基づいているより純粋なものであり、意識や行動が、宇宙の道理に適っていることであれば、その結果として生じることは、たとえどのような状態になったとしても、たいへんポジティブなものであります。

そして、動機と行動や意識が上記のようなものであると確認さえすれば、どのような結果がもたらされたかということを、評価したり判断(judge)したりすることを本来はしなくてもよいのです。

瞑想したけど何も得られない…。ヒーリングしたけど相手の状況に変化が感じられない…。神社に参拝してもエネルギーが感じられない…。

結果を求めなくても良いのです。動機が愛であり純粋であり宇宙の道理に反していないのであれば、必ずあなたにとっては光を輝かすための力となって波動を高め、ポジティブなエネルギーとなって蓄積されているのです。そして、その光によって人のため地球のため宇宙のために貢献しているのです。ただそのことを信頼すれば良いのです。


《我々は、一つである(We are one)。》

《我々の本質は、愛である(We are love)。》

《ただ、それのみである。》













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