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もしも子どもができたなら♪

2009年07月16日
時々、ふと子どもがほしいと感じることがあります。それこそ直感的に…ですが、5人目の子が浮かんでくることがあります。でも、現実の生活状況を考えたり、今の経済的なことや妻の協力があるからこそ行うことができている今の時点でのアセンションスペースシューリエの仕事内容のことを考えたりすると、「まーいっか…」と保留にしてしまいます。

我が子たち4人は、大学病院の産婦人科で出産しました。24時間体制の至れり尽くせりの状態に、安心感を求めて選択しました。また、妊娠したかどうかという結果を知るために、そして妊娠後の成長を知るためやアドバイスを受けるために定期的な通院もしていました。私も妻も、そのことが「普通のこと」であり「そうすべきこと」であると信じていたからです。そして2人の子の流産は経験してきたものの、出産することに関しては医師を信頼し不安のない中、結果的には4人の子どもたちが生まれてきました。費用はそれ相応にたくさんかかったものの、「出産するにはたくさんの費用がかかって当然」と固定観念として信頼していたので、普通に感じていました。また、最初の子である長男が出産する前に流産を経験したために、妊娠したとわかってからは妻をできるだけ休ませるようにしていました。そして、出産に関してのすべてを医師や専門的な知識や経験がある方にお願いすることが「常識的である」とも思っていましたので、その常識を何も疑うことなく「普通のこと」として選択してきました。そしてこのような出産関係のことすべてを今の時点で振り返ってみても、何一つ後悔はしていませんし、出産でお世話になった皆さまには本当に深く感謝している次第です。

でも、1年ほど前からだと思いますが…今の時点での私たち夫婦は、次に子どもが生まれてくれるとしたら、自宅出産にしようと決めています。そして、妊娠したことを判断してもらったり、その後の経過を知ったりするための通院をする必要を感じていません。また、出産する際には、私が妻から子どもを取り出して、あらゆる産前産後のケアを、家族みんなで協力して行うということです。つまり、医師や助産婦さんといった他人の手は借りず、私たち家族の力のみで行うように努めるということです。そして、産前も産後も、無理しない程度に妻がごく普通の暮らしをするように心がけるということです。でもそれこそ、こういうことって本当は3次元の世の人間の長い歴史の中では「普通のこと」であり「自然なこと」であったと思います。また、今の時代でも医療体制が日本のような状態ではないような国や地域では、そんなにめずらしいことではないことだとも思っています。

私は今45歳、妻は8月末で39歳になりますが、体力的にも年齢的にも問題ないと感じています。しかし、今の時点の生活でさえぎりぎりの経済状況が続いている現実や、できるだけ早いうちに石垣島に移住したいという夢(願望)は募るばかりなのに、結果的にはまだいすみのこの貸家にいて、物質的には具体的に移住は進んでいないともとれる状況ですので、子どもがほしいと感じても、こういったネガティブな思考によって先延ばしにしたり保留にしたりしているのがこれまでの状況でした。

まだまだ修養の足りない私自身の思考に、わずかではあっても浮かび上がるこのようなネガティブな思考から生じる取り越し苦労(まだ起きていない先のことをネガティブに考えること)が時々働いてしまっているのですが、本来は必要のないこのような取り越し苦労を意識の中でポジティブに解決し、直感に従い、わくわくを選択するように努めることができ、私たち家族を選んできてくれる魂がいてくれれば問題はないわけです。

でも、私たち家族の現状をネガティブに表現すれば上記のような内容になるでしょうが、ポジティブに表現し直せば、事実として必要は常にもたらされていて、ぎりぎりの経済状況であるとはいっても、不自由はしていませんし、過度な節約とか無理な我慢とかもしていません。私たち家族の価値観の中で、常に「必要に徹するようにしている」のです。ですから、子どもたちに何か物を購入することを要望される際に、明らかに必要な物であると感じる物は別としても、私的な希望からであるような場合には必ず「それは本当に必要な物なのか?」と聞くようにしていますが「必要だ。」ということで親も納得したら購入するようにしています。特に中・高校生の長男長女は、入学以来、必要な物の購入費は予想以上にたくさんかかっていますが、今のところ必要な物すべてが購入できています。だから私たちは、やっぱり必要な物すべては手に入っているのです。ですから本当は「経済的にぎりぎりな状態」ではなくて、実際にポジティブな言葉で表現すれば「必要は満たされていているが、豊富や余剰はない」ということになっているのです。

また、石垣島への移住計画も、いつどの場所(家)に住む…と3次元の世において決まっていませんし、そのためのお金もまったくありません。でも、イメージの世界ではすっかりと移住は現実のこととなっていますし、石垣島での生活の様々なことに関するイメージや願望は膨らむばかりです。また、今の生活の中でも意識や行動においては、あらゆる方面において移住に向けての準備は進行中です。畑をたたんだり、家や庭の片づけを進めたり、本州の行きたいところに行って思いを遂げてきたり、子どもたちにはいつ転校してもいいように心の準備をさせたり(長女はまだまだ整理できていませんが…)、私たち家族が本州にいなくても私も妻も両方の親を含めた親類関係が調和を保てる状態にしたり・・・etc。

だから本当は、私たち家族に子どもが増えても、何一つ問題はないのです。それをわかっていても、やっぱり私が修養の足りないために湧き上がるネガティブな思考が、ほんのわずかでも思考の中で湧き上がると、それが広がって取り越し苦労となってしまうのです。実際に私は、この件で大きく葛藤しているようなわけでもなく、ポジティブに変換できないで困っているわけでもありませんが、自然と湧き上がるこのネガティブな思考や取り越し苦労に気づくたびに、この事実をしっかりと受け止めてポジティブに変換するという修養に励んでいる次第です。

そして、結局のところ結論はいつものように「わくわく感に従って、最良と感じる選択をし続ける」ということになるのです。






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