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私が霊的感覚の中で感じとっていること

2009年02月26日
今朝も海に出勤したものの、昨日は霊力をオーバーワーク気味に使ったようで、チャネリングがスムーズにできそうもない感覚だったので、海を見ながらラジオ体操等の軽い運動をして帰宅しました。こんな日は、自宅でメールやブログを書いたり神道フーチで神社のリサーチをしたりすることをメインの仕事として行うようにしています。

守護霊・前世のリサーチは、とてもたくさんの霊力を使いますし、私の波動や体調が、かなり高まった状態をキープできる時のみ可能です。なぜ、そんなに霊力を使うのかといいますと、相手の守護霊様や前世と意図的につながってリーディングするために、基本的には相手の一霊四魂といわれる魂本体や内在する神とつながる必要があるためです。そのためには、私よりもはるかに高い波動を持つ、ご依頼を受けた相手を特定してその特定した相手の方の一霊四魂に呼びかけて波動をできるだけ合わせるようにして合わせていただくからです。そして、伝えていただいたことをより正確に読み取るには、右脳や第3の目やすべてのチャクラなどを集中させて、3次元の領域とは違う霊的な領域に入り込み、3次元の世と意識を分離しつつも、顕在意識で認識して言葉にする状態を、ある程度長い時間キープする必要があるからです。

私のリサーチした結果を受け取った方には「見せてくれた映像は~」「~をしている場面です」などというような表現をしてお知らせする場合がよくありますが、実際は目で見ているのではなくて右脳の奥や上の方などに出てくる、5感に当てはめれば映像としてはっきりと見せてくれたことを描写しているのと同じことなのでそのように表現していますが、実際は目で見ているわけではないので「感じている」というのが適切な表現であるとも思っています。そして、それは微細な感覚における領域なので、思考や自らが描いたイメージなのか、それともインスピレーションなのかというジャッジは一件難しい様にも思われがちですが、私がこれまでの経験によって培った感覚や現段階での自分自身の霊的能力への信頼から、思考やイメージとインスピレーションとを分離して認識していることを確信しています。

ちなみに、上記のような状態の時に、3次元的に言い換えてわかりやすく表現すれば、私は映像を見ています。この映像は、写真のような場合もあれば、短編ドラマのように動いていることや音声が聞こえる場合もあるなど、私が状況をわかりやすいような状態にした映像を見せてくれます。ですから、色が何色であるとかどのような姿でどのような表情をしているかなど、細部にわたって伝えることもよくあるのです。これは、ご依頼いただいた人の状況によって違うので、そんなに詳しく分からない場合もありますし、はっきりと感じさせられる場合もありますが、すべては必要に応じてのことと私は感じて信頼しているために、リーディングさせていただいたまま表現しています。

普段、人と会ったり人を見たり感じたりしての霊視は、私が意図したり3次元的な5感と分離させて感じるように意識したりしなくても、必要な情報は相手から私に伝えられてくるので、私はただ単に「聞き役」であるだけでよいということになり、特別な霊力を使おうとしたり状況をめいいっぱい高めたりしなくても、より純粋な気持ちで愛を持って接するようにすれば、私はナチュラルな感覚の中で教えていただけるのです。

この場合もやはり必要に応じて…ということが基本となるのでしょうが、人によっては見た瞬間にオーラの色も今世の在り方も現段階の波動も状況も前世も守護霊様も瞬時に分かる場合もありますし、何一つ見た目以外には感じられない場合もあります。以前、私の霊的能力がどうやら人よりも高いのだろうと感じた頃は、やたらと人を意識的に霊視したこともありました。でも、今は必要以上には極力しないようにしています。理由は、これも不干渉の法則にのっとっているからです。必要以上に相手を知ろうとすると、自分も同じことをされてしまいます。

直接お会いしてスピリチュアルカウンセリングを行っていた頃の中でも、3,4年ほど前までに何度か経験したことなのですが「私の身体の健康状態を見てください」と最初にいきなり試されるような質問をされたことがあります。たぶん、今ならそのような質問に対しては冷静に対処して、いきなり答えるというよりはそのような人を試したり疑ったりすること自体に対しての根本的な話から入ると思いますが、当時は自分を信頼してもらおうと必死な部分もありましたので、ちょっと力みながら肉体のオーラを見て知らせていました。実は、肉体のオーラはとても感じやすい(見やすい)ので、それなりに正確に読み取って伝えると、みなさん決まって驚くと同時に、その直後から私を信頼してくれて、その後にご相談の本題に入るというパターンでした。同様に「私を見て感じることを言ってください」と、いわゆるシッティングを求められることもありましたが、私にそのように見てほしいという気持ちを持たれた方は、自らの根本的な状況をより鮮明にオーラに映し出してくれるので、やはりとてもわかりやすいという結果になります。

でも、ここ3,4年は、試されるようなことはなくなりましたし、いきなり本題に入る方が多くなりましたので、私としてはお互いにそれなりに信頼関係が保ちやすく、必要以上に知る必要がないために、よりリラックスして感じるままにチャネリングした状態のまま相手に伝えるようにしています。でも、これも人によって違うので、ある人は過去世や今世の状況が伝わってきてズバズバと私が話す場合もありますが、ほとんどスピリチュアルな感覚から伝わってこない場合もあります。そもそも、もうここ1年ほどは基本的に対面によるスピリチュアルアドバイスを基本的にはお受けしていないので過去の話になってしまうかもしれませんが…。

またこれはメールでのやり取りでも同じことでして、相手と対面をしていなくても、必要に応じて感じることができますし、気がつくと相手の一霊四魂とチャネリングしてリーディングした状態で書いていることも少なくはありません。ですから、私はメールを書く時も、それなりに波動を高めてある程度その波動をキープして落ち着いてメールを書ける状態になった時のみメールを書くようにしています。ただし、最初に書きました守護霊・前世リサーチをする時のように、相手を特定して意図的にチャネリングしてリーディングするわけではないので、あのような状態にまで自分をもっていかなくても大丈夫ですので、今日のような感じの時には、それなりに状態を保てるように自分をもっていって仕事に励むようにしています。ちなみに、今、こうしてブログを書いているこの状態も、そんな状況を作ることができたために書き綴ることができています。

霊能者といわれる人の中には「霊能力のスイッチをオンやオフの状態に場面に応じて切り替える」というような表現をする方がいらっしゃるようですが、私は同様の状態を感じつつも、普段の実生活の中においての霊能力のスイッチのオン・オフは、私の一霊四魂が自動調節してくれているものと信頼しています。ですから、感じる必要が生じた時にはその必要性に応じて感じる(霊的感覚の中で見える・聞こえる・味わう・触れる・匂う・香る)ことが許されます。中でも、神様の独特な香りやお姿、いろいろな色や肉体を見せてくれた宇宙存在のみなさん、どれだけ多くの方々とお会いしたかという数はわかりませんがすべての守護霊様のお姿は、本当に感じる(お会いする)たびに至福感を得ることができます。ちなみに妻の感じ方は、見たり聞こえたりしたことはないようですが、匂いや香や味として感じることが多いです。

ちなみに、高低の波動から発されるエネルギーは、肉体の感覚で察知するのがもっともわかりやすいと私も妻も感じていますし、特に低い波動から発されるエネルギー(邪気・邪念など)は、はっきりと感じ取ることができると自負しています。(特にこめかみや後頭部、第3・4を中心とした各チャクラは敏感に読み取って顕在意識に伝えてくれます)

神道フーチによる神社リサーチに関しましては、紙に書き記した相手の情報をもとに神道的な儀式の中で相手の一霊四魂とつながり、割り出した神社へとフーチを通して1件1件訪ねて、神社とかかわりのある大神さまとつながることによって、ご依頼者様との関わりをお伺いするというやり方で行っています。そのためには、お知らせいただいた住所近辺の地図を探して特定したり周囲にある神社を調べたりするなどの準備に時間がかかりますが、やはりメールやブログを書くときと同様に、それなりに自分の波動を上げた状態で落ち着いて取り組める時間さえ確保できれば、リサーチを行うことができます。

遠隔ヒーリングは、妻が1日の中でうまく調整して波動を高めて落ち着いた状態にて仕事を行える時間帯を作っているので、必ず妻がご依頼を受けている期間中は毎日もれなく行うようにしています。私は、よりエネルギーをたくさん必要とする時や除霊やかなり厳しい状況の方にヒーリングを行う時、また、リーディングを依頼された時などといった必要に応じて妻にプラスして行うようにしています。

私は特にここ1年ほど、こうしてブログを書く際に、時には高次の方の名前まで知ることを許されるのでその際には書き表しますし、どのような存在であるかという大まかなことを伝えられた場合にも書き表しますが、実際はなるべく分離しないで、今回もそうですが自分に降りてきた高次からのメッセージや感覚などのインスピレーションの大小に限らず、できるだけ私の顕在意識の中で整理するようにして、私の名で書くことを望むようになりました。もちろん必要に応じてより最良の状態を望んでいるということは常に意識しているわけですからケースバイケースということになりますが、私が書き表すブログの内容に対する責任感は、やはり私が書いたという文章表現の方がより強く自己責任を持てるということも理由の1つであろうと感じます。でも、どなたからのメッセージであろうと、何を転載したかとか参考にしたかとかといった内容であっても、同じように私のブログに載せた以上、すべては私の自己責任によるものであるわけですから、そのように自覚して公開している次第でもあります。
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