05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

私たちは「近代史」の真実を知る必要がある

2015年10月03日
☆ブログランキングへの1日1回応援ワンクリックをお願いします!
   ↓   ↓

人気ブログランキングへ

★。、:*:・'゜☆。:・'゜★。、:*:。'゜☆。:・'゜★。、:*:。'゜☆

以下はzeraniumのブログに掲載されている内容を転載させていただきました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   日本人はテレビドラマに影響されて、歴史観を作られてしまっている? 
   政権が恣意的に大河ドラマを選んでいる? 
   本当にそんなことがあり得るのだろうか?

   あり得るのだ。
   それが本書の冒頭で紹介した「長州藩」という言葉だ。これはテレビ・メディアと出版メディアによる造語であるが、今ではこちらのほうが当たり前になってしまい、正式名称は「萩藩」だと言われてもしっくりこない状況がある。正式名称を造語とすり替えても、それを違和感なくもっていけるのがメディアの力であり、毎週毎週テレビ画面から刷り込んでいくことの恐ろしさだろう。

   そして21世紀の現代でも、いまだにメディアは政権によって完全にコントロールされているという事実が持つ恐ろしさだ。そして実際に、2015年現在放送中の大河ドラマ『花燃ゆ』は、官邸サイドからNHKに指示があったことがわかっている。実は私は山口県に親戚がおり、去年そこに立ち寄った時、「次の大河ドラマの舞台は山口で、NHKは安倍首相の故郷山口を舞台に大河を作れと言われたみたいだ」と、いろんなところから聞いていた。

   私は東京に帰って調べてみたが、それは事実だった。
   これは安倍総理の意向というよりも、側近たちがそれぞれの思惑や点数稼ぎの中で動いていた可能性も高く、そこをとやかく言う気はない。問題は、そういった思惑があっさり反映されるメディアの自浄作用のなさなのだ。

   それだけでなく、今年(2015年)7月、軍艦島で話題になった「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されたことも、政権の意向が働いているのは明らかだ。今回の世界遺産はシリアル・ノミネーションといって、同じような特徴や背景を持つ複数の遺産をひとつの遺産として、登録申請ができる制度を利用したものである。

   内訳には松下村塾、萩城下町、旧グラバー住宅、鹿児島の旧集成館、小菅修船場跡(三菱重工業が管理)、三菱長崎造船所などがある。政府はこれを、明治日本の産業革命というテーマでくくっているが、これはどう見ても薩長の統幕の歴史遺産であり、その裏には”財閥”の陰までちらつく。

   ここで問題なのは、今回の世界遺産のノミネートを内閣府が担当したということだ。
   これまではずっと文化庁による推薦であったのが、今回だけなぜか突如、内閣府が産業革命遺産の保護に適用する法律を拡大して推薦していたのだ。内閣府はなりふり構わず、明治を讃え、薩長を礼賛しようとしているのだ。

   ではその裏には、どんな思惑があるのだろうか?
   それが政府が画策している「明治のイメージ」から理解できるだろう。開国と自由の賛美。”外国”とともに歩むことの素晴らしさ。富国強兵。そしてそのような政府が現在強烈に進めている政策が、TPPであり、集団的自衛権だ。つまり、「開国の自由と賛美」「”外国”とともに歩むことの素晴らしさ」「富国強兵」が、すべてここに繋がってくるのである。

   話は幕末と明治だったはずなのに、なぜTPPと集団的自衛権が出てくるのか? と、とまどった読者も多いだろう。しかし幕末・明治がテーマだからこそ、最後に現在の話をしなければならないのである。最初に書いたように、現在の日本は幕末、明治と直結しているのだ。今からそれについて説明しよう。舞台は再び、萩藩に戻る。

   萩藩は巨大な借金に苦しんでいた。
   それを変えたのが「撫育方」(ぶいくかた)であったと第1章で書いた。この撫育方を発案し実際に推し進めたのが、撫育方頭人・村田清風だ。彼は「公内借三十七ヶ年賦皆済仕法」という、藩士が商人から借りた借金を、事実上踏み倒す法律を作ったことで知られる一方、開明派としても有名だった。

   しかしこの法律は当然、商人たちの悪評を買っただけでなく、藩士たちからも不満が上がった。というのも「公内借三十七ヵ年賦皆済仕法」は、借金をチャラにするとともに、新たな借金をできなくさせるものであり、借金なしでは暮らしていけない下級武士たちから反発を食らったからだ。これがもとで清風は失脚。

   代わって台頭したのが家老の坪井九右衛門だった。
   九右衛門のやり方は、清風とは真逆の重商主義であった。それまでの「公内借三十七ヵ年賦皆済仕法」を即廃止し、「公内借捌法」(くないしゃくさばきほう)を実施する。これは商人からの借金は藩が代払いし、家臣の藩からの借金はなかったことにするもので、商人や家臣たちからは歓迎された。しかし当然、こんなやり方で藩の財政がいつまでも続くわけがなく、萩藩の借金は以前よりも膨らんでしまった。そのために九右衛門は失脚した。

   その後登場したのが、清風派の代表である周布(すふ)政之助である。
   彼を支持するのは高杉晋作や伊藤俊輔ら松下村塾の面々であり、のちに彼らは自らを正義派と名乗るようになる。しかし正義派は、下関戦争、第一次長州征伐の敗北によって失脚し、萩藩は再び、高杉が名付けた俗論派、坪井九右衛門と彼の子飼いの椋梨藤太(むくなしとうた)が牛耳ることになった。(『歴史に学ぶ地域再生』中国地方総合研究センター編) しかし高杉は、騎兵隊を率いてクーデターを敢行し、この成功により藩論は正義派一色となり、維新に突き進んでいくのである。

   ざっとであるが、これが幕末期萩藩の政争の流れである。そして実はこの中に、幕末維新と現代を結ぶキーマンがいる。

一連の系列を保ちつつ、現在の政府に引き継がれている人脈

   そのキーマンとは、坪井九右衛門だ。
   彼は子どもの頃に坪井家の養子となって坪井姓を名乗っているが、元々の名前は違う。彼の元の苗字は佐藤である。そう。第61~63代内閣総理大臣・佐藤栄作の祖先なのだ。ご存知のように佐藤栄作の実兄は第56、57代内閣総理大臣・岸信介だ。つまり佐藤と岸の兄弟は、高杉晋作から俗論派などという、悪名を押し付けられた佐幕恭順派の領袖(りょうしゅう)、坪井九右衛門の血脈だったのである。

   それだけではない。
   信介、栄作兄弟の曽祖父である元萩藩士・佐藤信寛(のぶひろ)は、長沼流兵学を修めた学者であり、なんと吉田松陰に兵要録を授けている。彼は坪井九右衛門と違い、信寛は正義派のほうについており、維新後は浜田県権知事、島根県令を歴任している。『岸信介傳』によれば、晩年は山口県熊毛郡田布施町戒ヶ下の別荘に住み、伊藤博文や有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひろ)親王も遊びに来ていたという実力者だ。また伊藤が佐藤信寛の別荘を訪ねた理由は、彼は生家が熊毛郡束荷村で、もともと彼らは顔見知りだったのである。

   さらに、岸・佐藤兄弟の血脈をたどっていくと、第45代内閣総理大臣・吉田茂につながり、吉田の養父・吉田健三は元ジャーディン・マセソン商会横浜支店長であり、妻は大久保利通の息子・牧野伸顕の娘雪子だ。孫には第92代内閣総理大臣・麻生太郎がいる。

   一方、第58~60代内閣総理大臣・池田勇人の妻は、長州ファイブの1人、山尾庸三の孫娘であり、その家系図には日本帝国陸軍大将・児玉源太郎、昭和天皇の側近・木戸幸一がいた。木戸の祖父は来原良蔵(くるはらりょうぞう)で、まだ10代の伊藤博文の才覚を最初に認め、松下村塾入塾を勧めた萩藩士だ。良蔵の妻・治子は、木戸孝允の妹。池田の家系図をさらにたどると第52~54代内閣総理大臣・鳩山一郎が登場し、その孫には第93代内閣総理大臣・鳩山由紀夫が現れる。

   まさにそうそうたるメンバーである。
   こういった系列を上に辿っていくと、佐藤栄作、吉田茂という総理大臣経験者が次々に登場し、途中にはジャーディン・マセソン商会横浜支店長まで現れ、そして最後には大久保利通へとつながる。また鳩山系を辿ると池田勇人、木戸幸一を経由して、長州ファイブの1人山尾庸三が突然現れ、最後に木戸孝允に辿りつく。明治政府のツートップで、明治政府の大切な時期に、日本を留守にしたあの2人が巨大な姿を現すのである。

   これが日本なのだ。
   いや、まだ先がある。麻生太郎の妹・信子が嫁いだ先は憲仁親王だ。そしてこの血脈の最後の最後は明治天皇まで辿りつくのである。これが皇国日本の本当の姿なのだ。つまり明治新政府は時に役者を替えつつも、そのまま現代日本の政府へと引き継がれているのだ。私がなぜ、明治維新は終わっていないというのか、その理由がこれである。それは戦争の世紀だった明治はいまも終わっていないということなのだ。

   誤解されると困るのだが、私は現政権を批判しているわけではない。
   日本は明治以降ずっとそうだったと言っているだけであり、今の日本の政権は相変わらず薩長閥であり、明治時代だということだ。そして明治時代とは戦争の時代だということ。私たちはこのことを決して忘れてはいけないのである。

私たちは「近代史」の真実を知らなければいけない

   太平洋戦争後の70年、日本は表向き戦争には巻き込まれず、平和な時代を過ごしてきた。しかし視野をほんの少し広げるだけで、それが大きな誤解であることがわかる。戦後の日本は軍需工場としての朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争までずっと加担して来たのである。日本が戦場にならなかっただけで、そのすぐ外側では戦争が続き、それによって日本経済は潤ってきた。(詳しくは拙著『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』ヒカルランド を参照してください)

   我々日本人は明治以降、今も戦争の渦中に放り込まれたままなのである。
   こういった背景を知った上で、私たちはもう一度、現在の日本を見直すべきなのだ。そうすれば、これから日本人が進むべき道が見えてくるだろう。戦争のスペシャリストたちの言いなりにならず、彼らに加担する日本の一部の勢力を、はっきり拒否する道を作り出すことができるだろう。

   自分を責めることで思考放棄をする安易な道を行くのはもうやめて、戦争について真正面から考え、議論することを怖れない道を進んで行けるだろう。そのためにも私たちは、「近代史」を直視しなければいけないのである。明治から続く戦争の時代を咀嚼(そしゃく)しないといけないのである。

          150年の呪縛はどう始まったか?
    book『明治維新という名の洗脳』 苫米地英人著 ビジネス社

                           抜粋

☆当ブログの記事の内容をポジティブに受け止めて下さった方、参考になったという方、当ブログを応援してくださる方、よろしければ1日1回応援ワンクリックのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
  ↓  ↓

人気ブログランキングへ

☆タエヌのホームページ☆≪アセンションスペースシューリエ
~守護霊様・前世リサーチ、月末の大祓い、遠隔スピリチュアルヒーリング、レイキ遠隔伝授、産土神社・鎮守神社リサーチ、パワーストーンの販売、ご相談・スピリチュアルアドバイス、タエヌのスピリチュアル百科~
http://www.shuwrie7.com

✿くるみ あんず:アセンション小説「かのこの現実」

✿atumi:「あつみのブログ」

❀デンプ:「ワンワンのブログ」

❀アマンダ:「ヤチヨチヨチヨチヨ」

❀アマンダ:「小鳥のゆりかご」









スポンサーサイト
zeraniumuのブログ