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「許し」と「感謝」と「寛大」さと

2013年05月01日
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30代後半頃までのタエヌが、
もし「あなたはあなた自身を好きですか?
それとも嫌いですか?」と聞かれたら、

私は「自分が自分を大嫌い」
と迷うことなく答えていたでしょうし、

若い頃には時々、そんなことを
親しい友人に話した事もあったと記憶しています。

もちろん、自分のすべてが嫌いなのではなくて
大好きな部分もいろいろとあったわけですから、

言い換えれば自分にとって
「大嫌いな性格をいくつも持ち合わせて表出していた」
ということになるでしょうし、

さらに言い換えれば、
「すでにいくつもの改善すべき欠点を見出していた」

と、今になって振り返って思えば、
そうポジティブに捉えることができるとも思っています。

私が自分の中の欠点として見出していた「嫌いな」部分を、
具体的にいくつかあげて見ますと、

「短気なところ」

「自分が不利になるとウソをついたりごまかしたり逃げようとしたりするところ」

「人をなかなか許せなくて、ネチネチと根にもつようなところ」

「取り越し苦労の多いところ」

今、ここで思い出せるところは、そんな感じの事です。

なんだか、この言葉をこうして並べてみると、
すっごく嫌なヤツに感じてしまう事でしょうけれども、

もちろん、いつもそんな風ではなくて、
その逆であったことの方が圧倒的に多かったのですが、

そんな自分にとっての嫌な性格が表出してしまい、
それに気づいてネガティブに感じるたびに、
自分で自分を嫌いだと思っていた次第です。

それが、今では逆に、同じ質問をされたとしても、
迷うことなく「私は自分がとっても大好きです!」
そう答えられると断言します。

別に、このような欠点と感じていた事すべてを改善し、
完璧にポジティブ人間になれた…
なんてことは思ってもいませんが、

自分なりに改善されてきていることに気づくたびに、
徐々に自分が好きになっていき

いつのまにか
「自分を好きになることができた!」という感じです。


私にとって、
自分が自分を好きになるための
大きな転機が訪れたのは、

今から約10年前に
レイキの伝授を受けた時以降のことでした。

伝授を受けてからいろいろと自分内の変化を感じましたが、
その中で、当時、最も嬉しい変化が

「短気だった自分が治まってきて、
人や物事を許せることが多くなってきた」

そんなことに、自分自身で気づいた時でした。

私自身は、短気にならないようにとか、
人を許して寛大にならなくちゃ…とかと、
強く意識したようなことはほとんどありませんでしたが、

伝授を受けて以来、毎日(特に家族に対して)
レイキによるヒーリングを実践しながら、
その効果を様々な場面で感じたりとか、

スピリチュアルな叡智を得ながら
それをどんどん活用して実践したりとか

自分自身でも自覚できるほどに
スピリチュアルに目覚めていき
霊能力も急激に高まったりしているとかといったようなことは
大いに自覚はしていました。

また、そのような自分自身をいかして
人のために何かをしたいという気持ちが強くなり

ヒーリングをすることや
興味のある人にスピリチュアルな叡智を伝えるなど、
できることからいろいろとはじめてもみました。

そんな中、家族みんなでいる時にある出来事があって、
いつもだったら超イライラしたり怒ったりしていたことを、
私はあっさりと許して受け入れて笑っていました。

その様子を見ていた妻が私の大きな変化に気づいて、
私にそのことを話してくれた時、

私は心から嬉しいと思い、
自分の嫌いだった欠点を1つ、
大きく改善するための道を歩みだしたと実感しました。

その後も、同様に、短気と感じるような
イライラや怒りはどんどん減っていき、

言い換えれば、許しや感謝や寛大さのような心で、
ポジティブに対応できる場面が増えていきました。

もちろん、今でも時々はイライラしたり怒ったりしますが、
それは、よほどの場合のみです。

また、気がつくと正直に生きることに徹する自分が在り、
まずは妻や家族に対する隠しごとや偽りをなくしていき、

愛をより多くめぐらせられるようになっていると自覚し始め、
愛に生きていることを喜びと感じるようになって以来、

ナチュラルな感覚の中で必然的に
許しや感謝や寛大さのような心が湧き上がって
それが行動や言葉や波動となって表出するようになりました。

ですから、今の私に
許しや感謝や寛大さのような心が表出して
そんなことからの行動や言葉などは、
ごく自然に出てくるものですので、

後になって自分自身で振り返ってみて、
これは「許し」の心が大きくなったとか
「心が寛大になってきた」とかと感じ、

後付けで嬉しくなったり、
人に何かの折に話したり
こうして文章に書いて表現したりしています。

またこのような必然的に改善してきたこともありますが、
意識的に自分自身を改善しようともしていまして

あらゆる現実的な困難から
ごまかしたり逃げたりせずに立ち向かうように努め

取り越し苦労をしている自分に気づいたら
先々を考えすぎたり過去に捉われすぎたりせず、
「今」に焦点を合わせて徹するように努めたりするなど、

意識的にも改善するように努めて
精神の修養に励むことを常として喜びとなりました。

そんな積み重ねの結果、
少しずつ波動は高まっているだろう
と自負できるに至りましたし、

意識してもしなくてもナチュラルな感覚の中で、
必然的に習慣のようになって身についていて
結果的に改善されたと自覚することも増えてきました。

ですから、10年以上前に比べたら、
まるで別人のようになっていると、
私自身でもはっきりと自覚していますし、
妻もそう感じているでしょう。

でも、この‘許しや感謝や寛大さのような心’は、
日本語の単語で当てはめると
このようなシンプルな表現になりますし、
まるで別々の単語のように羅列してしまいますが、

実際にはこれらの単語はすべてが絡まりあっていますし、
言い換えればすべては‘愛’でありますので、
本当は1つの単語にまとめても良いものでもあります。

そして、真実の愛による‘許しや感謝や寛大さのような心’は、
そうしようと意識してそのように対処したというわけではなく、

自分自身のナチュラルに表出してきた意識に従ったところ
結果的にこのような言葉で表現できるような状況に至ったという事でして、

自分で自分の心を操作したわけでもなく、
ただ単に以前よりも波動が高まり愛がより大きくめぐっているために、
そのような意識や行動に至ったと捉えられることが多くあり、
自分で自分をほめている次第です。

具体的に1つの例を挙げてみますと、

隣の席で飲食していた見ず知らずの人が
間違えて飲み物をこぼしてしまい、
そのこぼした飲み物が大切にしていた
自分のショルダーバックにかかってしまった時、

気づいた自分の感情は特に怒りのようなものはなく、
相手も間違ってこぼしてしまったことを詫びてきた際に、

結果的になにもネガティブな感情も起こらずに許し、
その場で不調和なく終わったとしたような場合に、

この「許し」にはネガティブな感情の湧き上がらない
自分自身の高い波動を発している「寛大」さがあり

相手が間違えてしまったことを認めてあげる
「寛容さ」や「気づかい」もあり、

誤ってくる相手への「感謝」の気持ちもあり、
大きな愛のめぐりもあるのです。

それでも、このような様々な状況を
一言で表現するのでしたら
「許した」「許してあげられた」となるでしょう。


時々、「許し」とは云々、「感謝」とは…「寛大」さとは…
などといったような言葉の意味に捉われすぎてしまったり

同じ大いなる愛からのものであるのに、
これは感謝すべきで、このことは許しに変えるべきで…などと
表現に捉われすぎたりしてしまい、

そんなことで論じあってしまい
不調和を生じてネガティブな波動を生じたりするようなことも
ときには人によってはあるようですが、

そのようなことにエネルギーを使うくらいでしたら、
あらゆる意見や見解は参考にしつつも、
自分自身の中で本来の純粋な愛である
許しや感謝や寛大さのような心を理想に掲げて

より謙虚により軽やかに自分自身が在り続けるように修養を重ねて
相手を認めて意識の過干渉はできるだけしないように努め

せっかくこのような愛に関して語っているのに、
強く反論したり論争したり
自分の意見を押し付けるようなことをしたり、
上から目線で物事を言い放って不調和を生じるようなことは選択せず

自分自身のフィールドで、
自分なりの考えや思いや見解などを表現して、
相手との不調和を生じないようにした方が
よりポジティブであり魂向上のためによろしいでしょう。

真実の「許し」も「感謝」も「寛大さ」も、
すべては同じ大いなる愛から成るものであるので、
すべてはポジティブなものなのであります。

また、真実の愛による「許しや感謝や寛大さのような心」は、
その人自身が直感的に瞬時に表すことでして、

思考が働いたりネガティブな感情をポジティブに変換したりして
思っていることを無理に変えて表現しようとしなくても、

ナチュラルな感覚のもとに
言動となり波動となり愛の光となって
周囲にめぐり表現される場合が多いでのです。

そして、このような大いなる愛の
許しや寛大さや感謝といったことを
言葉でその意味を表現するのはとても簡単なことのようで、

実際にはあまりにも意味が広すぎて重なり合っていて
さらに個々の捉え方に多少の違いもあるために
難しい場合もありますが、

これらのことが言葉として表現されている場合には、
言葉尻のみや単語の意味に捉われすぎるのではなく、

気づきを与えてくれたということや
その言葉を発する人、表現する人の真意や愛を
どれだけ感じられるのかが大切なことであり

気づきや学びの機会を与えていただき、
その表現した人から発される愛を受け取ったのであれば、
そのことは大いなる感謝に値するものなのです。

さやこさんのブログとコメント欄を読んだら
こんなことを書きたくなりましたので
わくわく感に従って表現しました。

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