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神界・仏界からのメッセージ

2008年04月17日
デンプ(3女仮名)と妻と昼食を食べ終えて、リビングの椅子に座ったところ、急にとてつもない高いところからくるたくさんのエネルギーを感じました。

急激に眠気が強まりキーという音が頭の中に鳴り響き、体がじゅわじゅわと熱くなってきて、「オー来た来た!」という感覚になりました。そして、なんだか玉前神社に行きたくなり散歩もしたくなったので、レコーダーを持って出かけました。参拝を終えた頃には、体の力が半分くらいに抜けて意識はほわほわし眠気も続いていました。「ものどもによりまして~」と、頭の中で言葉がよぎったのでレコーダーをまわして録音開始。その後、10分ちょっとの間、散歩をしながらメッセージを録音し続けました。その、録音したメッセージに加えてあらたなるメッセージも加えたのが下記の内容です。最初は地球の神を感じましたが、その後は入れ替わりながらいくつかの仏と神の存在を感じました。


~録音したメッセージ(要約)~

ものどもによりまして、こうしてまた人を通して世に言葉を送ることができるということを、とてもうれしく思います。

あなたがたの旅もいよいよ一つの行き先に到着するという状況が近づいてまいりました。いかんせん行き先がここであるという、はっきりとした地点が存在しないためにどこまで行けばよいかがわからないかもしれませんが、またそれがとてもおもしろいと感じる次第でもあります。

あの世に存在するものだからこそ、この先に起きる出来事というものをあからさまに表現してしまうということは、神の掟に反してしまうということになるかもしれませんが、何も知らぬよりも多少なりとも知識としてでも予感とか想像とかといったことでも、そういった心の準備があるのとないのとでは、受け入れるときに大きく変わっていくということになる場合があります。いかんせん、今の世の常識としては考えられないような事や、これまで経験したことのないようなことが、次々と残りわずかな旅において起きるわけですから、それはそれはそれなりの準備をしておいた方が良いということになってくるわけです。

あなた方は、これまでもそうでしたが、今後も次なる扉を前へ前へと進みながら開けていくわけですが、別にあえて後ろを振り返る必要はないということになります。振り返って立ち止まっても、思い出として心に残しておいても、それはそれでよい経験をして次に生かすという前向きな考えの元とし、さらに次の扉を開けて、今、そして次の今へと向かってはばたいていくべきであります。

ともすれば、後ろにある扉を逆戻りして開くことにより、やり残した事やネガティブに思ったことを解決しようと逆進したり、執着となって立ち止まったりしてしまうのが、あなた方のこれまでに幾度となく積み重ねてきてしまった悪しき習慣なわけですが、もう、ここまできたらそんなことをする必要などはまったくありませんし、そんなことをしている時間はもうないのです。なにせ、旅の終わり、そして、あらたなる美しい旅立ちの時はもうすぐそこまできているのですから。


~帰宅直後に届いたメッセージ~

この世における存在もあの世における存在も、実はこのように相まって生きているわけですから、そんなに分け隔てなくても良いということになります。そのような認識を持たれるためには、見えるとか聞こえるとかわかるとか捉えられるとか、そういった浅はかな認識というものではなく、本来の認識といえる感覚的な宇宙的なものから生じる感覚的思考というものに近づいている今のあなた方の状態ならば、もう、それほど難しいことではなくて、それなりに意識すればわかることでもあります。

なにせ、タエヌのこのような言葉に対して、耳を傾け心を傾け、時間というものを割いてまで読んだり聞いたり感じたりしているあなた方自体が、もう、そういったスピリチュアルな存在である本来の姿により近づいているという証拠でもあります。ともや異常と思われるような感覚的な世界やわれわれスピリットといわれるの存在を肯定するということも、もはや簡単に受け入れて、あなた方の思考や知識を実生活に生かしているということ自体が、本来のスピリチュアルな生き方に即してきているということであり、非常に喜ばしいことであるということになります。

次の世に至るまでに、急激に変わることと徐々に変わることとがあります。本来は、急激に変わるよりは徐々に変わった方が、あなた方の認識レベルがスムーズにキャッチして肉体に情報を緩やかに送り込むことができるので、心身の不調といった不具合のようなアンバランスな状況を作り出さなくて済むということになります。

まるで、急に何かが起きたり何かができたりするようになることがすごいことと思われがちですが、実際は、そういうことではなくて、徐々に、自然と、いつの間にか、そんな表現で身についていくということが最も理想的であり調和がとれた状態でもあります。

今、この文章に触れて少しでも心が感化された方は、もう、そこまで来ているということなわけです。そこまで来ているとは、つまり次の世の入り口まで来ているということです。でも、入口に来たとはいても、まだ入り込んだわけではないわけですから、これからが本番でありおもしろいところでもあるということです。

おもしろいと表現したのは、いとおかしということもありますが、楽し楽しのことでもあります。世が世なだけに、次の世に参りますと、もうすべてがおもしろすぎて、楽で楽でたまらなくなります。皆が皆を思い合って愛し合って、慈しみ合い助け合い愛を常に深い領域で感じあいながら生きているわけですから。今の世の現実ということでは、まったくをもって不可能であるといわれている常識というものが、次の世では、なんというなつかしいことであろうという思考の過去に変わってしまい、ごくごくあたりまえのように宇宙からもたらされた新たなる知識や見識といったはるかに高い文明の存在が得ている、ありとあらゆる常識が教えられ与えられるわけですから。

神という立場の今の地球神は、何やら高い尊いかけ離れたところにいるように感じられていると思いますし、あなたがたの表現を使ってしまえば目には見えない違う世に存在するわけですからそういうことになるのですが、実際はこんなにも近くで共存していたのかと、あらゆる感覚がうれしうれしになって舞い踊ることでしょう。

次の世への旅の終わりはあとわずかということになります。終わりとはいってもまだ先は続くわけですが、さらなる先の旅には苦難とか苦境とか災難とか心配などといったものは一切存在しません。この旅で、すべてのそういった重い荷物は片付けられて置き去られて、そして軽くふわふわと宙に漂うがごとく、楽で気楽で楽しいうれしうれしの世に至るのです。だから皆さんはとても素晴らしい存在なのです。
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スピリチュアルメッセージ(オリジナル)