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タエヌの自己紹介

2012年08月16日
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昨日15日(水)の午前中に、アマンダ(次女仮名小6)が歯医者に行っている間、歯医者の近くにある白保海岸に行ってデンプ(3女仮名小3)と2人でしばらくの時間を過ごしました。

海岸について車を降りると、車の近くにあった護岸の壁の上を、指先ほどの小さなオカヤドカリが歩いていました。オカヤドカリの爪はするどいので、ほぼ垂直に立っているコンクリートの壁を登って、1mほどある壁の上を歩いていたようです。

デンプはそのオカヤドカリを手に乗せて、愛おしそうに見つめていました。

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歯医者は自宅から車で30分ほど離れた白保という場所にあります。自宅周辺の人たちは違う歯医者に通っているようですが、アマンダが「歯が痛いから歯医者さんに行きたい」と訴えてきた時に、私は以前から白保の集落の中を走る国道を車で通る際に、時々目にする歯医者の看板がありましたが、その歯医者が浮かんできました。

そこで、波動を合わせてみるといい感じがしましたし、電話をしてみたらすぐに診察してくれるとのことでしたので、早速その日のうちにアマンダの虫歯の治療をしてもらいました。それ以来、今日で4回目の通院となりました。

アマンダは、これまでに通院を嫌がるようなことはありませんので、直感的にそこを選択してよかったと思っています。そして、待合室まで付き添っている妻に話を聞いてわくわくしたのですが、この歯医者の待合室には、江原啓之さんや望月俊孝さんや越智啓子さんの本など、ポジティブなスピリチュアル系の本が本棚に並んでいるとのことでした。

なんだかおもしろいな~と思いわくわく感じましたし、実際にも、いい感じの歯医者さんのようなので、安心してお任せしています。

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歯医者が終わり、街に出て買い出しをしようとした時、イオンタウンの駐車場の上を通る飛行機に遭遇しました。石垣空港が近くにありますし、見慣れている光景ではありましたが、今日はなぜかシャッターを押したい気分になったので、あわててバックからカメラを出して、着陸直前で高度を下げているJALの飛行機を撮影しました。もしも、これが軍用機だったならば…撮影をする気にはならなかったでしょう。

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タエヌは東京都足立区出身。1964年(昭和39年)辰年2月11日生まれ。
現在48歳。みずがめ座で血液型はO型。妻と息子1人娘3人の6人家族。

学生時代に千葉県にて1人暮らしを始めましたが、一時期は足立区の実家にもどるものの、結婚してから約18年間は千葉県民として落ち着き、千葉県印西市(16年間)といすみ市(2年間)に在住。2年前の2010年4月1日より沖縄県石垣市に移住して、現在に至ります。

身長は約175㎝。現在の体重は約73kg。昨年の今頃は80kg台の後半でしたが、結果的に約1年間で15kgほど減っています。今の体重が私にとっては理想的ですので、今はこの体重を維持するように努めています。

タエヌの本名…ブログ上で公言するのは、今はまだやめておきますが、アセンションスペースシューリエのご依頼をいただいた皆様にはお知らせしています。

両親や近い年上の親類からは「ユキ」と呼ばれ、少年時代の近所の友人には「ユキちゃん」と呼ばれていましたが、これは本名の名前から由来しているニックネームです。それ以外の学校関係やあらゆる友人関係では「タケちゃん」とか「タケさん」とかと呼ばれてきました。これは、苗字に由来したニックネームです。

20代の頃は、大鶴義丹とかTUBEのボーカル前田さんとかに似ていると言われていました。40代後半の今は、時々、江原啓之さんに雰囲気が似ているとも言われますが、家族も私自身もとてもよく似ていると認めているのは、全日本バレーボール女子の眞鍋監督です。年齢も同じで、顔もしぐさまでもよく似ていると感じて、ついつい行動や表情などをしみじみと見てしまいますし、好きな監督さんなので光栄にも思っています。

小学生の頃に好きだった歌手は天地真理、南沙織、五木ひろし(母の影響)など。中学・高校の頃はポピュラーソングやニューミュージックにはまっていたので、カーペンターズ、ホール&ウオーツ、渡辺真知子、中島みゆき、八神純子、アリス、サザン、千春など。社会人になってからはジュディ―&マリー(現在はYUKI)。と、好みは様々でした。

なんだか、自分のことを書いているときりがないので、以下は、スピリチュアル日記っぽいことに話題を絞って書きたいと思います。

《小・中学生の頃》

友達と遊ぶこと大好き。スポーツ大好き。学校大好き。リーダーシップをとることが多く、わりと活発な少年でした。

でも、その半面、気は弱いほうで、時々なよなよもじもじ…。暗い所や人けのない所が怖くて、何かの気配によく怯えていました。

人ごみの中、特に都会のデパートに行ったり地下鉄に乗ったりした後、激しい頭痛や発熱におそわれることしばしば…。この時は、それが何を意味していたかわかりませんでしたが、憑依体質のためであったと、後になって気づきました。

《高校3年生の時》

初めて金縛りを経験。燃えていた体育系の部活(卓球部)を引退し、いくつもの趣味(ギター,作詞・作曲,化石採集,サイクリングなど)も控えて、受験勉強にそこそこ励みつつ、寝不足が続いていた時でした。今は全くありませんが、30代中頃までの金縛り経験は100回を超えていると思います。他にも、幽体離脱、ラップ音を聞く、未成仏霊を見たり話し声や足音を聞いたり乗っかられたり腕や足を引っ張られたりする…などの霊体験をしました。怖さもありましたが、とにかく嫌で嫌でたまりませんでした。

《20代前半》

学生時代は、アルバイト(コンビニ・ミスドー・すかいらーく・ジョナサン・アンケート調査・引っ越し業者等)に遊びにスポーツ(バレー部に所属)にと、大いに楽しむ毎日。はめをはずすこともしばしば。最初に就職したのは、24時間営業のファミリーレストラン。学生時代もファミレスに就職してからの約2年半の間も、不規則な生活が続きました。

24歳の時、大きな悩みを持った中、本気で自殺を決意して大好きな京都・和歌山へ…。結局は新幹線の中で改心し、傷心を癒して、逃げずに現実に立ち向かうことを決意する新たなる旅立ちになり、ファミレスも辞職しました。この頃も、時々ではありましたが、金縛り・ラップ音をはじめとした心霊現象を経験し続けましたが、10代の頃はほとんど深夜だったのに、昼夜問わず起こるようになりました。

《20代中・後半》

平成2年(26歳の時)に千葉県の公立学校の教員として採用されて勤務開始。その後、平成16年に辞職するまでの間、小学校及び特別支援学校の教員を務めました。

平成4年に7歳年下の妻atumiと結婚。ゴルフ、バレーボール、フルマラソン、草野球、釣りに熱帯魚飼育など、趣味も生活も充実していました。

しかしその半面、ギャンブルにはまって妻に大迷惑をかけたり、短気なところがでたり、心配・不安症などによって強くネガティブになったりすることもありました。そんな中、頭痛・腰痛・アレルギー(特に花粉症)などで薬が手放せない日々を送っていました。

この頃になると、金縛りは減ってきて年に数回程度になりましたが、日常的に霊を見たり感じたりするようになり、心霊現象を引き起こしている未成仏霊が訴えていることや未成仏霊の状況、何かを感じる場所の霊的状況などもわかるようになってきました。

《30代半ば》

子どもを三人授かり、父親としての自覚が出てきたのか、不規則な生活は極端に減ってきて、現在のような早寝早起きの習慣が身についてきました。職場では子どもたちや職員や保護者とも順調で充実した日々を過ごしていましたが、一時期、担任していた一人の子どもの保護者との始めての大きなトラブルがありました。結果的には私の示した状況に収まりましたが、半年くらい続いたこの状況の中で鬱状態になり、初めて精神科で診療を受けて、もらった薬を2回飲みました。

これまで以上に、この頃はよく未成仏霊を見ましたし、霊的状況がさらにわかるようになりました。お酒を飲んでいる時、酔いつぶれているわけでもないのに、時々一瞬意識を失い、自分が思ってもいない言葉を発することがあり、不調和を起こすこともありました。当時はまだ、私が憑依体質であり、未成仏霊の憑依を受けてのこととは知らずにいました。

《30代後半》

38歳の時(今から約10年前)の夏、レイキ3までの伝授を受けました。この時の仕事は、小学校の特別支援学級の担任。勤務中の休み時間に電話でレイキ伝授の予約を入れ、1カ月後に伝授を受けられると決まった瞬間から、私の周りが光に満ちてまぶしいくらいに輝き始めました。結果、ちょっと厳しい先生だったのが、ほがらかなやさしい先生に…子どもたちはそう感じたかもしれません。そして、待ちに待ったレイキの伝授。この日を境に私の状況は大きく変わりました。

《レイキ伝授後》

今振り返ると、レイキの伝授を受けるに至る数年前からスピリチュアルな本を読んだり、スピリチュアルなことに意識を向け始めたりしているうちに、少しずつスピリチュアルな目覚めが始まり、レイキの伝授をきっかけに、スピリチュアルな目覚めが一気に進んだのだと自負しています。

それまで過ごしてきた38年間と、レイキの伝授を受けて以来の現在に至るまでの10年間とでは、私自身、振り返ってみると、意識の持ち方や人や周囲との関係などにおいて、とてもポジティブになってきていると思いますし、大きな違いを感じています。

レイキとは…宇宙エネルギーを使ったヒーリングテクニックです。アチューンメント(伝授)を受ければ、レイキといわれる宇宙にあまねく癒しのエネルギーにつながり、誰でも使えるようになるといわれているヒーリングテクニックです。

伝授を受ける数年前に書籍によってレイキを知りましたが、料金が少々高いと感じていたり、だれでも簡単に身につくという点を疑念に思ったりしていたので、躊躇していました。でも、伝授を受けてみてびっくり。まさかこんなに自分が変われるなんて…。

レイキの伝授を受けた時を転機にこれまでの約10年という歳月の中、徐々に変わったこともあれば、奇跡のように一気に変わったこともあります。そんな大きく変わった自分の現状について――。

~健康面~

頻繁にあった頭痛・発熱・吐き気・腰痛・アレルギー症状(花粉症・じんましん・肌荒れなど)の症状がほとんどなくなった。またそういった関連の薬は一切必要なくなった。熱さにも寒さにも強くなった。病気という症状とはほとんど無縁となった…など。(今年の4月には、急性の心不全・腎不全で入院する事態に至りましたが、それまでの10年間は病気とはまったく無縁であると思っていました)

~精神面~

大嫌いだった自分を逆に大好きになった。心が寛大になった。多くのことを許せるようになった。感謝、感謝の毎日になった。何事もシンプルにとらえられるようになった。前向きになった。取り越し苦労(心配・不安)やイライラが少なくなった。人のお役に立ちたいということがすべての気持ちの基本になった。家族に隠し事を一切しなくなったなどなど。

~スピリチュアルなこと~

高次元のスピリットとつながり、さまざまなメッセージを受け取れるようになった。低級霊(未成仏霊や魔)からの影響を受けにくくなった。金縛りや嫌な心霊現象は一切なくなった。除霊や浄霊ができるようになった…など。

もともと宗教とは全く無縁な家族環境に育ち、合掌するのはお墓参りと神社やお寺さまでお願い事をするときくらいでしたが、今は普通に合掌する毎日。感謝とか慈しみとか愛とか、そういったたぐいの言葉は10年ほど前までは恥ずかしくてほとんど言えなかったし、人が言うのを聞いてよく恥ずかしくないなあとも思うことがありました。

しかし今では、地球上のすべてのものや高次元の存在や宇宙に対して等、すべてに対して感謝をする毎日で、言葉でも日常的に表現するようになりました。

そして、普通に生活をしている4児の父親。妻も子どもたちも理解してくれていて、いっしょにスピリチュアルライフを楽しむ毎日。

スピリチュアルライフとはいっても、それほど特別なもではなく、きっと多くのご家庭よりはスピリチュアルな観点で物事を捉えたり会話をしたりすることが多く、実生活の中でスピリチュアルな意識を持って行動したり選択したりするなど、スピリチュアルなことを実生活において活用する機会が多いという感じなのだと思っています。

《40歳代前半》

2004年の6月に約15年間勤めていた千葉県公立学校の教員を辞職し、田舎町の駅前にある小さいビルの2階の一室を借りて、パワーストーンのショップの経営と、ヒーリングやスピリチュアルカウンセリングやレイキの伝授のできる部屋との2つのスペースにて、ヒーリングルームを開設しました。

レイキにしてもその他のスピ系の関係にしても、子弟関係のつながりとか同業者同士のつながりのようなものもなく、単独で自分自身の直感と自己判断と意思が頼りではじめたので、開設した頃は、お客様は私の知人ばかりで、教員やその知人がほとんどでした。あまりお金のかからない地域新聞や駅のポスターなどの広告も少しやりましたし、何度か自分で近所にチラシを配布したりもしましたが、結果的には、このような広告を見てお越しいただいた方は、全体の数パーセント程度でした。

その後も、お越しいただいた多くのお客様は、私の知人や、知人の知人、そしてその知人の知人の知人…といった感じで、口コミで広がってお越しいただいた方々でして、それでもヒーリングルームを初めて3年目の頃にホームページを開設して公開すると、ホームページをご覧いただいてお越しいただく方もいらっしゃいました。

そんな感じで、お客様も少しずつ増えてきて、そのように口コミで広がっていくことを光栄に感じていましたが、駅前のビルの一室や駐車場の月々の賃貸料や水道光熱費を払うだけでも結構な額だったので、その金額を支払ってさらに家族6人の生活費も稼ぐ…なんていう状況にはほど遠いい状況でした。結局は支払いが滞り始め、業者からの借金もかさんでいき、駅前に開設していたショップもヒーリングルームも、3年間で閉店することになりました。

経済的な状況はこんな感じで厳しかったので、周囲の人からはとてもネガティブに映っていたのだと思います。いわゆる、経営に失敗した…という言葉があてはまるわけですから。

でも、私自身のスピリチュアルな面では、この3年間の中で、たくさんの学びや気づきがあり、レイキやスピリチュアルカウンセリングで多くの皆さんに実践することによって、自分なりに磨きがかかって上向いていると感じていました。それに伴って、当初はレイキの伝授やヒーリングがメインでしたが、徐々にスピリチュアルアドバイスを受けに来てくれる方が増え始め、結果的には8割ほどがスピリチュアルカウンセリングを受けに来てくださるお客様になりました。

レイキの伝授やヒーリングの実践を重ねていくうちに、自分なりにレイキが向上してきていることは感じつつも、この頃によく「江原さんのような感じ」と称していただくことがありましたが、オーラを見たり守護霊様からのメッセージが伝わってきたり過去世がわかったりするなど、見えない世界のことを認識したり伝えたりすることにお役目や使命のようなものを感じて尽力していましたし、そのようなことが相談者様の問題解決やネガティブな意識を変換することや、よりポジティブに道を歩むために必要な内容である場合が多かったために、「人のためにお役にたつことができる霊能力」が開花して向上していると自負して喜びに感じていました。

《40歳代中頃~48歳現在》

賃貸のビルの一室にて行っていたヒーリングルームの閉店後、一戸建ての自宅にてヒーリングルームを開設しました。また、徐々に、メールでのやり取りも増えてきていたので、HPの運営にも力を入れ始めました。

そして、自宅にて開業を始める約1か月前から、現在も掲載している当ブログ「タエヌのスピリチュアル日記」を書き始めました。2007年2月のことです。(当初は‘TAKEの日記’と称してミクシィ―に掲載していました。)

その後の約5年半のことは、当ブログにて過去に掲載してきましたので、今回の記述はここまでとさせていただきます。

お読みいただきましてありがとうございました。

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タエヌのホームページ
アセンションスペースシューリエ
http://www.shuwrie7.com

アセンション物語「かのこの現実」改訂版を連載しています。クリスタルチルドレンの我が子(次女)をモデルにした、アセンションがテーマの自作小説です。(タエヌのもう1つのニックネーム‘くるみ あんず’著)
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