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お稲荷様

2009年08月17日
これまでに何度もメールのやり取りをしている方から、1週間の遠隔ヒーリングのご依頼をいただくとともに、以下のようなご質問をいただきました。一部修正して転載しますので、ご参考いただき、ひとつのマメ知識として受容していただければ幸いです。


Q.以前、ある稲荷神社に参拝した後に霊能者の方から「キツネが憑いている」と言われ「稲荷には行かない方がよい」とも言われました。しかし先日、友人に付き合って違う稲荷神社に参拝してきましたが、その際に少し嫌な感じがして、それ以来、体調と心が不安定な状態になっています。稲荷様のキツネとはどのようなものなのでしょうか?私が低い状態だったために憑いてしまったのでしょうか?いたずら好きのキツネが多いと聞きましたが…


A.今回の心身の不調は稲荷神社に行ったことが直接的な要因ではないと感じます。ただし、過去に霊能者とされる人からあのように言われたことをネガティブに気にしたまま参拝したために、ネガティブな気持ちを抱いて参拝したことによって、低い波動の何かを呼び寄せてしまったことが要因であるとも感じられますし、その後もネガティブな思いで気にしているために離れないでいるとも感じます。このようなネガティブなものが憑いてしまったのは、実際には神社内でのことというよりも、神社から出た少し後であるとも感じます。

いずれにしても、まずはお稲荷様とはどのような存在であるとされているのかという知識として得るにあたって、私は以下の内容が参考になるかと感じましたので、茨城県にある笠間稲荷神社のホームページの内容を抜粋して転載してみましたので、ちょっと長いですけど読んでみてください。

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《稲荷神社とおキツネさん》

いっぱんに「お稲荷さん」と言えばキツネをイメージされる方が多いようです。キツネはあくまで稲荷大神のお使いであって、神さまそのものではありません。稲荷大神にとってキツネは、熊野神社のカラスや八幡神社のハト、氏神さまの狛犬などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣です。これは中世の時代に、人間が持っている様々な欲望を直接神さまに祈願するのは畏れ多いとして、特別に選ばれた動物を通してお願いすることが行われたことによるものです。

キツネがお使いとして選ばれたのは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついています。民日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」の信仰がありまが、これは春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って、山の神となるという信仰です。キツネも農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せていて、田の神が山へ帰られる頃に山へ戻ります。このように神道の原形である「田の神、山の神」と同じ時期に姿を見せるキツネの行動から、キツネが神使とされるようになりました。

このキツネが稲荷大神のご祭神と混同されるようになったのは、平安時代以降の神仏習合により、稲荷大神が仏教の守護神、茶枳尼天(だきにてん)の垂迹(すいじゃく)とされたからです。茶枳尼天はまたの名を白晨狐菩薩(びゃくしんこぼさつ)と言い、キツネの精とされました。このことから、いつの間にか一般民衆の間で、稲荷大神のご祭神とキツネが混同して理解されてしまったわけです。

また、稲荷大神のまたの名である御饌津神(みけつがみ)の「ミケツ」が混同されて、三狐神(みけつがみ)と記されたことも一因と考えられます。御饌津神とは文字通り「御(=尊称)饌(=食物)津(=の)神」で、食物を司る神を意味していて、キツネとは全く関係はありません。

稲荷大神の信仰の起源は古く、しかも、稲作文化を育ててきた日本人に最も親しみやすい神さまとして永く崇敬されてきただけに、途中にさまざまな迷信や俗信、誤解が生じたり、附会されたこともあったことと思われます。しかし、神社神道本来の心である「明き心」「清き心」「正しき心」「直き心」をもってご祭神、宇伽之御魂神のご神慮とご神徳を正しく理解して、信仰心を高め、より深い崇敬を捧げることがいっそう大切となります。

《宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とは?》

「お稲荷さん」と親しまれている稲荷大神は日本人に最も身近な神さまで、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)の守護神として、広大無辺のご神徳を慕って多くの人々に崇敬されています。

「イナリ」の語源については諸説があり、「イナリ」は「イネナリ(稲成、稲生り)」で、稲が育つさまを表しているとも、「イネカリ(稲刈)」の「刈」が「荷」に誤られたとも、また「イナニ(稲荷)」が「イナリ」に転訛したとも言われています。稲荷大神はご神名を宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と称し、「ウカ」とは「貴い食物」を意味します。つまり宇迦之御魂神とは、「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまです。

宇迦之御魂神は須佐之男神(すさのおのかみ)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)との間に生まれた神さまで、倉稲魂神とも書きます。兄神には「大年神」がいらっしゃいます。父の須佐之男神は天照大神の弟神として有名ですが、母の神大市比売神はご神名に「市」をもたれるように「市場」や「流通」の神さまで、兄神の大年神は「大年(おおとし)」すなわち「大稲(おおとし)」の神さまで、私たちがお正月に「年神さまを迎える」という時の「年神さま」に当たります。

宇迦之御魂神は、「古事記」の大宜津比賈神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神で、いずれも五穀の起源の神さまとして記されています。

以上のことから分かりますように、宇迦之御魂神は御自身が食物を司る神さまであるとともに、一族に流通や稲に関わる神を持つ、人間の生活にとって根源的な役割を司る神さまであられるわけです。

食物の神、農業の神として崇敬された宇迦之御魂神は、民間の工業や商業が盛んになりますと広大無辺な御神徳を慕われて、殖産興業の神としての信仰が広がっていきます。近世になると農家ばかりでなく、商家、町家、大名にいたるまで稲荷大神への崇敬が広がり、ご分霊をいただいて屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りする人々が増えていきました。


上記の内容は、日本三大稲荷である「笠間稲荷神社のホームページ」より転載しました。

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レイキについてあれこれ

2009年08月17日
先日、2日間に分けてレイキの遠隔伝授1~3をお受けいただいた方から、早速のレイキをご活用された実践のご報告とご質問をいただきました。その内容を転載いたしますので、ご興味・ご関心がありましたらお読みいただけると幸いです。


☆子供が外で転んでひざをすりむいたのですが、以前までは「痛いの痛いの飛んでけポイ」だったのですが(←この場合ポイで手を離す。)最近は手をあてていてほしいと私の手を子供に取られ、膝の上におかれました。おなかが痛くなっても手を置いてとせがんでくるようになり、ちゃんとレイキのエネルギーが出ているんだとなんだかうれしく思っています。

☆昨日3歳の子供が夫と2人で買い物に行って帰りぎわ車のドアに手をはさんだと、泣いて帰ってきました。はさんだところが青くなって腫れていたのですが、初めてシンボルを使ってレイキをしたところ、青みがなくなり少し赤くなる程度におさまりました。(腫れもなくなりました。)子供も気持がよかったようで手をあてていたらすぐに泣き止み、旦那もレイキをうけたかいがあったと喜んでいました。

いただいたご質門のいくつかの内容のを要約します

Q.アチューメント中はいつも同じエネルギーではなく、その場に応じたエネルギー量になるものなのですが?

Q.私自身の波動がもし下がっているとしたら、実家に帰省していたために瞑想をやらなかったことが要因なのでしょうか?ここ最近瞑想することにあまりわくわくしなくなり、やったほうがいいことを心身は分かっているけど、集中できないのでやる気がせずやっていませんでした。ぐるぐるとめまいがするときだけグラウディングをしていましたが、やっぱりそういうことも関係していたのかな?と思い、気になります。



A.お子さんが手を当てるようにせがんでくらたというお話は、私も伝授を受けた少し後に経験しましたが、同じような気持ちでとても嬉しかったことを思い出しました。レイキを有効にご活用されているご様子をうかがって、とても嬉しい気分になりました~。

レイキは遠隔でも直接行っていても、相手のエネルギーをダイレクトに感じ取れる場合があります。これは、ヒーラーの状況によって違うようですし、経験を重ねていくうちに敏感になる方が多いようですが、今の時点の私や妻は、遠隔でヒーリングをしてもアチューンメントをしていても、相手のエネルギーの状況をそれなりに感じ取って把握することができていると自負しています。

以前(数年ほど前まで)は、私自身が相手の状況を読み取ろうということを意識していましたので、今以上にいろいろなことが伝わってきていましたし、伝わってきたことはそのまま相手に伝えるようにしていました。(これはレイキの伝授やヒーリングに限らず、カウンセリングや日常で人と接していてもそのように過干渉するような感じになることがよくありました)でも、ここ1,2年は、不干渉の法則を強く意識するようになったために、普段は相手の状況を読み取ろうという意識は持たないようにしていますし、それが習慣となり、過干渉しないようになっていると自負しています。それでも、ヒーリングやアチューンメントを行っていると、それなりに状況は伝わってきますが、これは私が知っておいた方がよりスムーズにヒーリングやアチューンメントが行えるための最低限に必要な状況を知ることができている(知らされている)と理解して受容するようにしています。

状況が伝わってくるとはいっても、ヒーリングを行う際には相手(ヒーリー)を癒すことが目的であり、相手にエネルギーをいかに有効に与えるかということが重要になりますが、アチューンメントでは相手とレイキエネルギーの根源とをより深く強くつなげることが目的であるために、伝わってくる情報が異なる場合が多いです。

この必要である最低限の情報とは、相手のエネルギーや波動の状況です。その中でもヒーリングを行っている際には、主に相手のネガティブな状態であるエネルギーの状況が伝わってくる場合が多いです。そして、最低限の状況を知ることによって、より有効に癒しを行うための必要な情報となります。

また、アチューンメントを行っている際には、主に相手にレイキのエネルギー(高い波動のエネルギー)がどのような感じで流れているのかというような状況が伝わってきます。簡単にいいますと、相手にエネルギー強く流れていると、その分、私自身も強いエネルギーを感じますが、あまりエネルギーが強く流れていないような場合は、私自身の感じるエネルギーも弱く感じます。また、このエネルギーの流れる感覚の中でも、エネルギーに対する感受性やエネルギーを発する際にはどうであるかといったような状況も伝わってくる場合が多いです。

ちなみに、ヒーリングをしている際にも、相手がネガティブな状況が強い場合には、相応の癒しに必要なレイキエネルギーがたくさん流れていることを感じますが、その際には浄化された邪気も強く感じてしまいますし、憑依が絡んでいる場合には、憑依しているネガティブな霊からの影響も受けてしまうことがあります。ですから、エネルギーがたくさん流れるポジティブな感覚とネガティブな感覚との2つが交わって感じられますが、アチューンメントを行っている際にはヒーリングを行うこととの目的の違いから、多少の浄化されたネガティブなエネルギーも感じることもありますが、ポジティブな感覚の方が多く伝わってきます。

またアチューンメントをしている際には、同じ回のアチューンメント中でも伝わってくるエネルギーの状況が違ってくる場合もありますし、日にちを分けた場合には、日によて違う場合もあります。でも、大きな違いを感じるよりも、多少の違いを感じる程度の場合が多いです。

ちなみに、アチューンメント中やヒーリング中に相手の状況がどれだけ感じられるのかという状態は、人によって差があり違いますし、最初は何も感じられなくても、経験を積み重ねることによって感じられるようになっていくなど、経験や状況によっても異なる場合があります。でも、相手の状況が感じられないからといってエネルギーが流れていないというわけではありませんし、ヒーリングの効果とも関係はありません。要は、相手の状況がどれだけ感じられるのかということは、人それぞれの持つ特質やその時点での波動の状況や必要性によるものであると私は感じています。またこれは、アチューンメントを受ける側の人やヒーリングを受ける側も同様でして、どれだけエネルギーが感じられたかという状態と、実際に得ることのできたエネルギーの量や質とは、それほど関係してきませんので、何かを感じられたか否かということを、本来は気にする必要はありません。


瞑想は、やれば波動が高まるというものでもありませんし、やらなければ波動が下がるというものでもありません。直感的なわくわく感に従って瞑想をしてポジティブな気分になれば結果的に波動は高まっているでしょうし、逆に、やらされて仕方なくやるとか、やらないといけないと思って気がのらないのにやるとかといった場合には、ネガティブな波動の中で行うために、結果的には波動が下がってしまう場合が多いでしょう。これは、スピリチュアルなワークといわれるものすべてに通じることでもあります。「私は~を毎日行っているから波動は高まっているはずだ!」とか「~を行えば必ず波動は高まる」とかと言う人もいますが、実際には、個々のその時点での状況に対しての必要に応じているか否かということが重要なポイントとなりますし、その時点では波動を高めるために適したことであっても、状況が変わるにつれて必要としなくなることもあるわけですから、根本的にその時点でのわくわく感に従おうということを意識するようにしていれば良いということになるわけです。

そういえば、ここ数ヶ月間くらい、私も毎朝行っていた瞑想をほとんどやらなくなっていることに気づきました。私の場合は瞑想をする形式やポーズなどといったものにはこだわっていないので、いつのまにか瞑想状態になっている…というような場合が多いです。また、毎朝のお祈りは続けていますが、月に一度くらいの割合で、うまく時間が取れなかったような場合には行わない場合もあります。そんな時には、早朝にはできなくても後になってやる気になった場合にはいつものお祈りを行う場合もあれば、今日はやらなくてもいいかなあと感じるような場合には行わない時もあります。私はいつもそんな感じで、ネガティブな気分にならないように意識し、無理なく、わくわく感に従って行うようにしています。

長くなってしまいましたがご参考ください。






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