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人に対して受け身である私

2008年08月05日
3年ほど前の夏のこと。学生時代以来20年ほどつきあいのある友人と飲みながら話していた時のこと。友人は私に対して、いろいろなことに対して「受け身」になってしまったと言って、どうしちゃったのか?と不思議がっていました。学生時代には何度も大きな飲み会を開いたり学園祭でバンドをやったり、草野球チームを作って10年以上も理事や監督を続けたりするなど、日頃からどちらかといえば積極的に仲間を集めたり人の中に入り込んだりしているイメージが私に対してあったようで、あの頃の私の言動によって「受け身になってしまった」と強く感じたようでした。

私が人に対して「受け身」になってきたと自覚したのは、その友人に言われれる1年ほど前からでした。でも、自らが起こす行動(特に自分自身の事や家族をからめたこと)は慎重であり理論的かつ予測や予定をきっちりとたてて動く方でありながらも、とても感覚的であり突発的である部分もある中で、積極的に行動に移すという状態はずっと続いています。でも、人に対して「受け身」になるということは、自分にとっての理想でもありましたので、3年ほど前に友人に言われた時は、指摘して心配していた友人とは対照的に、私は大いなる喜びを感じていました。

今の時点での私は、人に対して受け身であるという表現が適切かどうかはわかりませんが、たぶん以前7月5日の日記で紹介したオムネクの表現する「不干渉の法則」を、私にとっての一つの大きなスピリチュアルな信条と捉えて習慣として身につけたのだと、結果論として感じています。この「不干渉の法則」を、何年もかけて自らの実生活における根本的な観点として行動に移し習慣にして身につけてきましたが、私にとってはとても居心地の良いわくわくする状態であると常に感じています。

その反面、メールでスピリチュアルアドバイスをしたり何度もやり取りをしたりしている方から、メールの返信がこないことを気にしたり、ミクシィーの日記にコメントがくるかこないかとか足あとがついていないことを気にしたりするなど、人の反応が気になることがよくあります。でも、すぐ次の瞬間に、私は伝えるまでがお仕事と割り切っている自分がいて、気にもせずに平気でいてすっきりとしている自分がいます。もちろん、メールをいただいたりコメントをいただいたりすることは嬉しいことですので喜んで読ませていただいていますが、自らコメントや感想や意見などを書くように相手に対して要求することは一切していないつもりです。ですから、FC2ブログではあえてコメント欄を削除してあります。

家族への愛や家族に対する不干渉の法則の領域は別問題として、家族以外の方に関しては今の私はこのことをまるで無意識のうちに徹底していると感じています。実際、本当はメールや電話をして話をしたいと気になる人はいます。愛しい気持ちを伝えたい人もいます。その後の様子を知りたいと思う人もいます。でも、やはり次の瞬間には、自らが行動することはやめて、ひたすら待つことを選択します。待つとはいっても待ちわびるのではなくて、私を必要としてくれる時が来たら、全力を挙げてお役に立ちたいという波動で待つということです。愛を送りたい人に対しては、行動は待つのみですが、思念や想念によって愛を送っています。つまり3次元的には待っていますが、高次元的には行動していることになりますが・・・。

しかし、待っているからと言って、すべてを受け入れるわけではありません。時には直接お会いすることをお断りしたり、素敵な催しであると感じつつも欠席したりするなど、自分の生活、自分のペース、自分の波動を護ることが基本となり、特に私にとっての今の時点でもっとも重要だと感じている家族に対する仕事と、ブログを書く仕事と、ホームページやメールを媒介にしたアセンションスペースシューリエの仕事を最優先にすると捉えた時に、結果的にはそのようなお断りをするということをわくわくすることとして選択する機会が出てきてしまいます。

どうやら私にとって、現段階における最もわくわくすることは、できるだけ多くの時間を今在る地において過ごしていく中で、私の領域を護りながら、その都度にわくわく感じることを選択し続けるということ。時によっては、直接お会いすることを拒んだ翌日にお会いする機会をお受けするかもしれません。また、すぐにお会いしたいと感じてお受けするときもあれば、何度もお断りする場合もあるかもしれません。でも、それを大義名分とか申し訳ないからとかお金が稼げるからとか、そんな思考や世間体などといった観点からではなく、そのときの私の現状を多角的に捉えて感覚的に選択した結果を重視するようにしています。

後付けで感じることは、結果的に自分自身のバランス(調和)を第一優先にしているのだということのようです。ちなみに、私のここまで書きあげた内容は、特に人に対して伝える必要があるかどうかは分からずに感じるがままに書き進めてきました。何か参考になり、お役に立つ内容がありましたら幸いに思います。
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