FC2ブログ
01月≪ 1234567891011121314151617181920212223242526272829≫03月

修養を重ねるということ

2008年02月14日
修養という言葉の意味は、広辞苑によると「精神を練磨し、優れた人格を形成するようにつとめること。」ということです。人がこの意味における修養を積んでいくと、波動がどんどん高くなりオーラの輝きも増していきます。そして、愛がより深く大きなものとなっていき、自分にも他人にも地球にも宇宙にも、よりたくさん貢献できるようになっていきます。

修養するということを、最初は思考によって修正したり意識したりしながら行うことが多くても、修養を積み重ねていくうちに意識も行動も習慣になっていくにつれて、無意識のうちに修養を重ねていくという状態が増えていきます。その中で、習慣となって修養されたことが精神の深い領域にまで浸透して身についたら、さりげなくそしてごく普通のこととして実生活の中で生かすことができるようになりますし、さらなる修養を続けていくようにもなります。

このようにして、できるだけたくさんの修養を重ねて、より多くのことを実生活の中で生かせるように習慣づけていけば、さらに高い波動のめぐりが生じて、高次元である魂の本来の特質をより多く思い出していき、人として3次元の地球上に在りながら、より高次の魂に近づいた状態での実生活を送ることができるようになっていくということになります。そして、高次の魂に近づけば近づくほど、宇宙との一体感をより強く感じながら、より慈愛に満ちあふれた幸福感の中における実生活を送ることができていきます。言い換えれば、波動がより高くなり宇宙や世の中や自分自身の魂(無意識や潜在意識)と顕在意識(心)との調和が深まっていくにつれて、心配・不安・怒り・エゴ・恐怖などといった波動を下げてしまうことや、体の不調や怪我や事故、嫌なことやつらいと思うことがめぐることなど、そういった3次元的なネガティブなことが実生活の中から減少していくということになっていくということです。

修養を重ねるということについてですが、修養という言葉から、何か特別なことをするような印象を感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、実はそれほど特別なことではなくて普通にできることがほとんどであります。

できるだけ楽天的に無理なくわくわくしながら修養していくということを選択すれば、いくらでも日常生活の中においてわくわくしながら修養を重ねることができます。また、古くから行われているような滝業とか長期間に渡る断食とかといったことを選択するいということでしたら、多くの人にとっては日常生活からはかけ離れた特別なことになるわけです。無理なく普通に3次元的な実生活を送りながら修養するのか、あるいは何か特別なことをするのかということは、自己責任と自由意志によって何を選択するかということによります。

さて、この修養するということにおいての基本になることですが、動機や目的のすべてが「愛」であるということを心で認識するということです。この愛という言葉をもう少し広げて表現すると、慈しみ、調和、感謝、親切、自己への愛、他への愛などとなります。そして、この愛から発する意識や行動を習慣にしていくということがとても大切なことであり、すべてでもあります。

ここでいう行動を習慣にしていくとは、ただ単に同じ行動を繰り返して行うということだけではなく、同じ動機や目的である行動を習慣にしていくという意味になります。このことを例えて説明しますと、電車でお年寄りに席を譲ること、困っている人に声をかけること、怪我をしてしまった人の手当てをすること。この3つの行動は違うわけですが、根本にある愛は「人に親切にすること」となるわけですから、動機や目的は同じであるということになるということです。

修養するということを大きく2つに分けると「波動を高めること」と「波動を下げないようにすること」になると思います。分けるといっても、本来は、波動を下げないようにして高めるという両面性がある中でのことなので、ここで2つに分けたことはわかりやすく表現するための便宜上でのこととなります。

この「波動を高めること」については、わりと意図的に行いやすいことも多いですが、「波動を下げないこと」については、突発的であり日常的である出来事の中においての修養が多くなるといえます。この、突発的であり日常的である波動を下げてしまうこととは何かといいますと、例えば、怒り・不安・心配・エゴ・嫉妬などといった、情緒面におけることがとても多いということになります。この怒りという低い波動を許しや慈しみという高い波動に変えること、不安や心配を安心や希望に変えること、エゴや嫉妬を愛情や思いやりに変えること、このことを情緒面においても行動においても、できるだけ即座に行うことが「波動を下げないこと」そして「波動を高めること」という修養になるということです。

さらにこのことを3つに分けると「身体の修養」と「心の修養」と「霊性の修養」となります。ただし、この分類も同様に言葉上の分類であって、すべては連動していることでもありますので、言葉として表現する際にわかりやすくするために分けているという表面的なことになります。ですから、すべての修養についてはっきりと分類することができないわけですが、ここでは主に修養する意味が身体であるか心であるか霊性であるかということになります。

主に心の修養となることは、「物事の捉え方」「人やマスコミなどの情報」をよりポジティブに受容すること。「人や地球上すべてのものとの調和」「情緒」をよりポジティブな状態にすることなどです。言い換えれば、すべての物事や情報や人間関係などとの調和に関してや周囲の波動に対して、より大きな愛を持って受容し、怒り・不安・嫉妬・心配などといったネガティブな感情や思念や言霊などにより低い波動を抱いたり放ったりしないようにするということです。

主に身体の修養となることは、身体がより良い状態に保てるように「飲食」「運動」「睡眠」「休息」などに気をつかって行動することなどです。具体的な例としては、暴飲暴食やたばこやアルコール類を控えること、適度な運動をすること、程良い睡眠時間を確保することなど、身体にとって悪影響を及ぼすと思われることを控え、良い影響が得られることを選択するということになります。

主に霊性の修養となることは、神や仏や宇宙や地球やスピリットなどを崇めること、インスピレーションを大切にすること、宇宙や地球のエネルギーを有効に活用することなどといった、スピリチュアルなことにより意識を向けて実生活に生かしていくことです。

今回の日記での主題を修養にしましたが、このテーマはとても広く深いものであるために、表現していくと膨大な量の文章になっていきますので、この日記ではここまでとしておきます。これまでも書いてきたつもりでしたが、今後もこの修養ということに関しての捉え方や実践例などの具体的なことを書き続けると思いますので、参考にしていただければ幸いに思います。

最後に、2つの内容を書くことで、今回述べてきたことのまとめといたします。

1つは、修養はバランスが大切になるということです。例えば、波動の上がることを修養していても波動の下がることを続けていては、波動が高いときと低いときのギャップが大きくなってしまい、きつい(波動が低い)状況になることがあります。例えば、真の信仰をしたり宇宙エネルギーなどのスピリチュアルなエネルギーを意識的に取り入れて霊性を高めたりしていても、身体に害を及ぼすようなことを習慣にしていたり波動の低い言霊を多く使ったりネガティブ思考であったりしていては、全体的な波動は上がっていきません。波動を高めることを意識しつつ波動を下げないように心がけること、そして身体も心も霊性もすべての面において修養しようという意識を持つことが大切ということです。

もう1つは、修養を重ねることにより経過や結果においての自己評価を、五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)によるものに求めすぎないということです。ある事項に関して修養しようと心が変わっただけで…また心が変わって行動が伴っただけで…即座に五感においてでもわかるとてもわかりやすいポジティブな結果が生じる場合もあります。逆に、心が変わり行動も変わり習慣として修養を重ねて波動がどんどん高くなっているのに、五感的にはそれほど変化を感じられない場合もあります。五感でわかることはとても表面的なことではありますが、3次元の世に存在する我々人類にとっては、とても大切なことでもあります。ただし、修養をしていく中で、波動が上がっていても五感的にわかるような物質的現象が生じるタイミングというものは、宇宙がすべて調和させて与えてくれるものなので、人間的な思考とはタイミングが違う場合もよくあるということです。それでも、後付けで振り返ったり総合的に物事を捉えたりしてみると、波動が高まっていくことにより、高い波動のできごとがめぐっていることを必ず実感できるはずです。そして、結果としては必ず五感的にもはっきりとわかるできごとがめぐってくるのです。
スポンサーサイト



スピリチュアル
 | HOME |