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乾杯!

2007年12月31日
なんだかおもしろいな~と思ったのは、やっぱりこの大晦日を迎えると、あ~いよいよ今年も終わりか…と少々しみじみしてみたり、また次の年を迎えるという直前の状況にわくわくしたりしている、いつもと同じ自分がいることです。これまでの経験とか固定観念とか、そんなものではなく、きっと年が変わるということは、それなりに宇宙的な観点においての地球における意味合いというものがあるのかなあ~と、今、思っています。

今日の昼食は、ちょっとフライングをして正月用と思っていたお餅を食べました。このお餅は、昨日近くに住む知人からいただいたのですが、いつもの知人のおばあちゃんが作ってくれたお野菜や大根と白菜の漬物と一緒に昨日届けてくれましたが、本当にすべてがおいしくてありがたくて感謝感謝です!お餅は、一枚近く食べてしまったし、白菜やたくあんもたっくさん食べてしまいました。ごちそうさまでした~(ワインのおつまみにも最高です)

我が家の子どもたちは、普段夜9時頃には寝ています。妻も私も同じくらいの時間には寝ています。もう、少なくとも10年以上こんな暮らしをしているかと思います。でも、いつも大晦日だけは就寝時間はいつでもオッケイ。毎年のように、子どもたちは深夜まで起きています。でも、それは毎年帰省していた私の東京の実家でのこと。今年は、我が家で過ごす方がわくわくするので、帰省せずに家族6人で過ごすことを選択した始めての大晦日です。実家のジージとバーバには、夜にでも電話して孫や子のメッセージを伝えようと思っています。今、デンプとアマンダと妻は昼寝をしていますが、初めての家族のみで過ごす大晦日も夜更かしをしようという計画があり、そんな準備を進めているということになっています。

家族といえば、他にも手乗り文鳥の「ぴーぴ」(もうすぐ6歳)と手乗りインコ「ぴよちゃん」4歳、うさぎの「イヨ」(もうすぐ2歳)そして、4つの水槽に棲んでいるたくさんの熱帯魚や珊瑚や貝類などのみんな。オカヤドカリ。などなど。みんなとこうして年を越すのも初めてです。なんだかとてもわくわくしていてすっきりとしている私や妻がいます。

私や妻にとっては、今年一年を振り返ると、まるで1000年分の経験を一年で凝縮して経験したかのような感覚でいます。3次元的な出来事も、多次元的な感覚も、今思い起こすと、それはそれははかりしれないほどたくさんの未知なる経験をさせてもらった一年でした。逆に、これだけたくさんの思い出があった一年ではあったのに、こんなにも短く感じる一年というのも初めてでした。

家族の愛、人の愛、スピリットの愛、地球の愛、宇宙の愛、そういったすべての愛というものを感じ、支えられ、与えられたことを実感できたということは、これまでの人生の中では比較にならないほどの多大なるものでありました。すべてのみなさんに大大大感謝です!

今年始めたミクシィーにおいて、こうして結ばれたりご縁が深まったりすることができたみなさんには、特に超特大の感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました♪フフフフフーハハハハハーーとってもわくわく気持ちがいーです!

みなさ~ん、どうぞ良いお年をお迎えください !

そして、来年もどうぞよろしくお願いします!!
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日記

わくわく野菜作り

2007年12月29日
野菜を育てるのって、とても楽しい!

私がまだ教員のお仕事をしていた15年ほど前のこと。野菜の育て方についてのノウハウを調べて、学級の畑で子どもたちと一緒に野菜を育てたのをきっかけにして、その後もたくさんの野菜を育ててきました。

これまでに育ててきた野菜を思い出してみると…トマト、ミニトマト、きゅうり、ピーマン、シシトウ、オクラ、とうもろこし、モロヘイヤ、えだまめ、だいこん、かぶ、ラディッシュ、ブロッコリー、カリフラワー、にんじん、ほうれん草、小松菜、みずな、サラダ菜、インゲン、レタス、キャベツ、ソラマメ、絹さや、スナックエンドウ、たまねぎ、サトイモ、ヤツガシラ、じゃがいも、さつまいも…などなど。なんだか、育ててきたことや収穫したこと、そして食べたことを思い起こしてみると、とてもわくわくしてきます。

でも、最近は家の庭でちょっとだけ育てましたが、数年前に借りていた畑をやめてから、畑で野菜を育ててはいません。育てたいという気持ちは常にあったのですが、畑を持っているわけでもなく環境が整っていなかったからです。

自給自足とまではいかなかったとしても、次に住む場所のひとつの条件として、自然の多い土地の中において畑での野菜作りができる所がある家を探しています。できれば田んぼもあると理想的ですが、まだ米作りはしたことがないので保留にしています。したことがないけどしていこうと思っているのは、この米作り以外では、梅干作り、味噌作り、です。あとは、半年ほど前からぬか漬けを始めたのをきっかけに、いろいろな漬物を作るようになりましたが、もっともっとレパートリーを増やしたいです。

野菜作りに話は戻りますが、10年ほど前に、私と同じ頃から近所の貸し農園にて野菜作りを始めた実家の父から教えてもらった、HB101という植物の成長を促す栄養剤のようなものを使っています。当時はなかなか手に入らない物でしたが、最近は多くの店先に並んでいます。このHB101は、いくつかの種類の樹木のエキスのみでできている液体ですので、科学的な薬品や肥料とは違ってとても安全です。父は、飲んだり傷口に塗ったりして、今の我が家のタヒチアンノニジュースのように自然治癒力を高めるためにも使っていますし、私もノニジュースを知る以前はそうしていました。

このHB101を使って野菜を育てると、信じられないほどよく育ちます。初めて試したのがラディッシュ。ゴルフボールかそれよりも大きいと思われるくらいまで育ち、味も甘くてみずみずしくて最高でした。それ以降、野菜作りでは欠かせないものとなりましたが、大きく育って味が良いばかりではなく、収穫した後の野菜の日持ちも良くて倍くらい違うと思います。

肥料は鶏糞を中心とした有機肥料にこだわっていました。よく有機栽培は難しいといわれていますが、それは大量生産をする場合のこと。家庭菜園レベルでは、それなりの知識を持って野菜を育てることを楽しんでマメに畑に足を運んでいれば、化成肥料などの化学肥料よりも育てやすいと思いました。

何度も無農薬で育てようと思いましたが、野菜によっては難しいものがあって、キャベツの青虫とか夏野菜のあぶらむしとか、ブロッコリーにつく虫とかには、ちょっとだけオルトランという農薬を使って「減農薬野菜」を育てていました。でも、やっぱり目指せ無農薬です。

あー、また早くたくさんの野菜を育てたいな~というわくわく感でいっぱいになりました。妻も、これまではそれほど野菜作りを一緒にやっていませんでしたが、今は野菜作りをやりたくてやりたくてむずむずわくわくしているようです。小1の次女アマンダ(仮名)は、数年前に借りていた畑で私と一緒に収穫したかぶやじゃがいもの話を時々思い出しては、またお野菜を作りたいな~と話します。今度のおうちでは畑がある所を探すということで、アマンダもやる気満々です。

今朝は3時に起きちゃいました。ゆっくりと朝風呂に入って4時半ころからこの日記を書いています。なんだか、とてもすがすがしい気分だったので、久しぶりにチャネリングしての日記を書きたくなり、心を無にして深呼吸をしながら待ちましたが、書きたくなったのがこの日記。もちろん、チャネリングによるものではないと思いますが、わくわくしながら書いたという観点ではまったく同じです。
日記

一年ぶりのわくわくゴルフ

2007年12月27日
昨日の夕方に、先日紹介したイラストを書いてくれた友人(「しお」と読んでいます)から電話が入りました。ついに・・・ちょうど1年ぶりとなるゴルフをラウンドすることになりました。思い返せば今年の1月2日、しおと2人で栃木県のゴルフ場でラウンドして以来の、ぴったり1年振りである来年の1月2日に今回もしおと2人でラウンドしてきます。

打ちっぱなしの練習場には、今の時点で今年は2月と11月に1回のみ行って、軽く練習しただけで、きっとすっかりなまっていることでしょう。。私のベストのスコアーが75というのは、アマチュアのゴルファーとしてはそこそこに自慢できるスコアーですが、きっと今回は100を切るのがやっとかも・・・と思いつつも、当日まであと6日ほどある日にちの中、すでにタエヌの頭の中には数年前の時点のアベレージスコアーである80台中ほどのスコアーをねらってのトレーニングメニューは出来上がっています。

今日は、これから打ちっぱなしの練習場に行ってきます。もう頭の中はゴルフのことでいっぱいです。いつもラウンドする前はたくさんのイメージトレーニングをしますが、今回は1年間ほとんどクラブを握っていないのに、イメージトレーニングだけはこれまで通りに積み重ねてきました。ゴルフをそこそこに経験をされている方でしたら想像がつくかもしれませんが、70台とか80台あたりのスコアーをキープするには、それなりの継続した練習が必要になります。

そんな中、1年もの間、約30分間の練習を2回しただけという、ほとんど実践していないというブランクを取り戻すにはどれだけ時間がかかるかはわかりませんが、こういった普通ではない状況において自分自身がどのような力を発揮することができるのか、とてもわくわくしています。特にイメージというものがどれだけ3次元の現実に影響を与えてくれているのかということが、今回のことでも少しわかるのではないかと思っています。
日記

我が家のサンタクロース

2007年12月25日
「サンタクロースはクリスマスになるとプレゼントを届けてくれる神様または神様的な人。トナカイが引くそりに乗って移動する、白いひげをたくわえている年配で男性の姿をしている。」キリスト教や関連する宗教の信者がどう教えられているかはわかりませんが、日本人のわりと多くの子どもたちは、サンタクロースって何?と聞くと、こんな感じのイメージを話すのではないかと思います。

我が家の子どもたちも、保育園で教えてもらった歌「あわてんぼうのサンタクロース」の歌詞にでてくる「ゆかいなおひげのおじいさん」とか、普段テレビや絵本や街角などで目にするサンタクロースをイメージしていて、良い子に対しては、お願いしたプレゼントを知らぬ間に届けてくれるやさしい神様だと思っています。我が家では、ほしい物を思い浮かべるか、またはお店に行ってほしいおもちゃの前に行き、パパまたはママと一緒に心の中(または小声)でサンタさんに向けてお願いすると、願いがかなってクリスマスまたはイブにプレゼントが届く…かもよ!?ということになっています。これは、子どもたち4人において十数年に渡っての行事になっています。

この時期になると、子どもたちの中で「サンタクロースはいるかいないか」または「信じるか信じないか」ということが、あちらこちらで話題になっているようです。小5の長女の話では、今年もクラスにてそんな話題になったとき、3分の1の子がサンタはいないまたは信じていない、逆に3分の2の子はいるまたは信じているということになったそうです。

うちの長女も、サンタクロースというクリスマスになるとプレゼントを届けてくれる神様が「いる」「信じている」という仲間に入っています。しかし、昨年までと比べると、今年の状況は、娘にとってのサンタクロースの存在というものが大きく変わったクリスマスとなりました。

1週間ほど前のこと。私が娘に対してサンタクロースに関する話をした内容です。

「サンタクロースは実際にいる。我が家の子どもたちに夢やプレゼントも与えてくれている。でも、神様が人間のような形になって実際にプレゼントを持ってきて、我が家に配ってくれるかといったら、これは違う。世の中の子どもたちが抱いたイメージや思いというものがプラスのエネルギーの塊になって作り上げられた神様が、長女や多くの人が信じているサンタクロースである。そして、その神様の使い手となりプレゼントを実際に買って、夢や希望や愛を乗せて子どもたちに渡すという役割を担ったのが、我が家ではパパとママである。だから、サンタクロースはいるけど、人間のような物質として存在するのではなく、長女の知っている神様や仏様や守護霊さまのような存在として「いる」ということになる。だから、信じている人にはサンタはいるけど、信じていない人にはサンタがいないということになる。」

つまり、キリスト教という宗教のわくにそれほど関係のない者にとってのサンタクロースとは、簡単に言えば、サンタクロースの存在を信じている子どもたちのイメージやエネルギーによって作られた神様であるということになります。そして、その使いとしての担い手として3次元の世において実行するのが、子どもたちを愛する大人たちであるということになるということです。

この話は、去年中学1年になった長男にも伝えました。物質として実在すると信じきっていた長男でしたので、ちょっとショックだったようですが、わりとすんなりと納得していました。長女も長男以上に、サンタの物質的存在を信じ込んでいましたし、友達にもこれまでの経験から絶対に存在しているということを豪語していたようですが、本来の状況が分かった方が良いという段階に長男よりちょっと早く育ったという私の判断により、実際の真実の話を聞かされました。ちょっと驚いたような表情も見せましたが、話を聞き終わったときには長男よりも淡々としていて「なんだ。そういうことだったのか。」と一言。すべて納得できた~という感じでした。

我が家のサンタクロースは、24日にプレゼントを届けてくれます。去年のサンタは玄関のチャイムを鳴らしてくれて、長女が「どちらさまですか?」と受話器を取ると、初のサンタの担い手になった長男が小声で「メリークリスマス」と言って立ち去りました。長女はびっくりして妹2人と共に玄関の戸を開けるとそこにはプレゼントが~!長女は、サンタさんの声を始めて聞いたと大喜び。かなり興奮しながら何度も繰り返し話していました。

そして、今年は長女がチャイムを鳴らすという役割を担いました。妹2人は大喜びで玄関を開けて、玄関先に置かれたプレゼントに感激していました。小1のアマンダ(次女の仮名)は、すぐさま道路に出てあたりを見渡したり空を見上げたりしてサンタを探したけど会えずにちょっとがっかり。でも、ず~っとほしかったプレゼントを手にしたので大満足でした。ちなみに、三女で4歳のデンプ(仮名)は、ほしかったキティーちゃんのケーキ作りセットに加えて、誕生日のプレゼントでもらいそこねた「ゆめひよこ」も届けてもらってご満悦。もちろん、長女も長男もサンタの担い手としての役割を果たしつつも、サンタを信じている我が家においての子どもという立場である特権として、ほしいプレゼントはもらえるので、やっぱり大満足。

昨日のサンタさんは、我が家にとっては記録的な早さとなる、午前8時頃にやってきました。子どもたちは、思わぬ速さに大喜びでしたが、なぜこんなに早かったかというと、サンタの担い手であるパパが、早く子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、待ちきれずに急きょ実行したためです。

我が家では、神様や仏様は常に崇めているので、家族みんなが神棚やお仏壇を通して崇めたり、神社やお寺に参拝に行ったりするのも習慣となっていますし、そういった窓口である物質がなくても、強く意識しています。ちなみに、昨日もプレゼントが届けられた後に電車と徒歩にて、家族で香取神宮に行きました。でも、キリスト教やそれに関連する宗教ということに対しては、あまり興味はありませんし、信仰はしていません。そんな中、キリスト教から発しているといわれているこのクリスマスという行事を、それなりに毎年、特別な行事として待ちわびて演出して家族みんなで楽しんでいます。

このクリスマスという行事は、我が家にとってはひとつのキリスト教という宗教的なものとは離れていて、世の中の多くの子どもたちや人々によって、ポジティブなエネルギーの塊となって存在しているサンタクロースという神的な存在や、クリスマスという行事を、ひとつの楽しいイベントとして楽しんでいるということだけです。きっと、日本ではそういった方が多いかもしれませんが、我が家もそんな感じです。まあ、あまり宗教的な意味合いにはこだわらずに、道理に適っていることでありそれなりの意味合いがわかって認めていれば、わくわくしちゃうことは大いに楽しんじゃうということが基本ということでしょうか。。


○サンタクロースの由来

4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教(主教)、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説が起源である。

「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。その後、1822年にニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーアが病身の子供のために作った詩「聖ニコラウスの訪問」がきっかけとなり、このサンタクロース物語は全米中に広まった。

また、ニコラウスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)・ニコラウス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。

正教会系の国では、サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祝日は12月6日である(聖名祝日の項目を参照)。子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。クリスマスである12月25日は聖体礼儀に行く日で、プレゼントはない。また、ユリウス暦を採用している正教会(ロシア正教会など)のクリスマスは、現行の暦に換算すると1月7日である(現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差がある)。

~フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照~
日記

2007年12月22日

2007年12月21日
明日は2007年12月22日。地球のアセンションが完了するとされている2012年の同日まで、ちょうど5年ということになります。

実は、明日は私の息子の14歳の誕生日。素敵な日に生まれたなと思っています。明日から小中学校は冬休みに入るし、三女デンプ(仮名)も合わせて保育園を明日から1月7日まで休ませることにしたので、一年間みなさんよくがんばりました~という区切りにもなります。そこで、昨日突然私のわくわく感からひらめきました。「レンタカーを借りて勝浦・天津小湊近辺までドライブしてこよう!」

この提案を夕食時に家族全員に話したら、みんな大喜び。ただし、6人乗りの車で禁煙車がないために、結局2台で行くことを選択しました。私も妻も、10月初旬以降は車の運転をまったくしていないので、少々心細いところもありますが、初めて経験する家族が2台に分かれてのドライブという計画の新鮮さというわくわくを選択しました。

翌日であり連休初日ということなのに、夕食後にレンタカーの予約の電話をしたら、1300ccクラスの禁煙車2台を、あっさりと予約することができました。なんだかとてもスムーズだしとてもわくわくするので、宇宙から「行ってらっしゃい」と言われた感じです。

今日の夕方に車を借りて明日の夕方に返しますが、デンプの保育園の布団などの大荷物も運べるし、トイレットペーパーやボックスティッシュなどのかさばる日用品も家から離れた所にあるホームセンターで買いだめできるので、明日のお出かけ以外でも必要なことででした。

明日行く予定の主な場所は、誕生寺と清澄寺と玉前神社。そして、海であそぶことと年賀状に載せる写真撮影。さらに、この先に住む家探し。

私の守護霊様も私たち家族も宗旨している日蓮宗の開祖である日蓮聖人の生家近くに建てられた誕生寺と、深くまつわるお寺である清澄寺は、家族みんなの憩いの場所でもあるし、浄化していただいたりエネルギーをいただいたりすることができる素晴らしい場所でもあるので、よく参拝に行く場所でもあります。玉前神社は、上総の国一ノ宮としてたくさんのご神気をいただける、やはり素晴らしい神社です。今の私たち家族にとっては、ぴたりのパワースポットということになると思っています。わ~楽しみだー!

毎年、この時期になると写真の撮影会をしますが、毎年写した写真を見ては、子どもたちの成長している様子をさらに実感できる機会でもあります。大好きな海をバックに、素敵な写真が撮れますように!

先日、日記に勝浦や天津小湊のことを書いたすぐ後にホームページを探したら、あっというまに「ここに住みたい!」という物件が見つかりました。昨日も調べたらまだあったし、他にも素敵な物件がゴロゴロあって、わくわくわくわく。実際はどんな物件なのか、とても楽しみです!

まあ、そんなわけでして、シンプルに言い換えれば「レンタカーを借りて用事を済ませ、明日はドライブをする」という、それほどたいしたことではないようなことだけ~ですが…久しぶりに車を運転できるという、これまででしたら日常茶飯のあたりまえのことですら、なんだかとってもわくわくしている自分がいます。子どもたちも、あたりまえだった、車に乗るということだけでも、わくわくしているようです。

なんだか、おもしろいな~と思いました!!
日記

ハモンデウス(高次元の宇宙の同志)からのメッセージ

2007年12月18日
穏やかで暖かい、春の日差しのごとく、澄み渡った空と空気のもとに、こうして存在できるということの素晴らしさを、今、あらためて感謝し見つめなおし、その恵みをもたらしているすべてのものを崇め尊う心を、ここに書き記してほしい。

あなたがたの住まう地球の美しさや素晴らしさは、宇宙一と称されるほどのものがあるということを、今ここで認識してください。どこの星が一番何が一番ということではなく、どの星もすべてが一番である中で、やはりこの地球は美しく輝いているということでは一番ということになります。これだけ鮮やかなブルーの輝きは、そうめったに見られるものではありません。

あたかも、私の見方を象徴するかのように、輝ける今日の日差しのまぶしい残光が、こうしてあなたが日記を書きながらも、軽く目を閉じると浮かんできましたように、だれもが穏やかな日差しというものを、少なくとも一度は見て感じて美しく素晴らしく心にとどめたという経験をお持ちであると思います。

何をどう書くということよりも、言葉でどう表現するかということよりも、そういった美しいものや尊いものといった神から与えられた宇宙の中において顕現することができたものを、どう感じてどう受容してどんなニュアンスでどんな波動でどんなオーラとなって伝えることができたかということの方が大切ということになります。

言霊や音霊などといったものも、それはそれで素晴らしいものであるために、それなりの注意を払いつつ美しく高い波動をもたらせるようにするということは、当然のごとく必要であるということになります。しかし、それだけではなく、それよりも大切なものは宇宙のエネルギーである波動やオーラの輝きというもので、どう表現するかということになっていきます。

波動を高くしてオーラを輝かせるには、必要不可欠なことがいくつかあります。その中のひとつは、裏があってはならないということです。常に表の心でいる中で、本当の心の中に、感動や感激や喜びなどといった美しいエネルギーが生まれるということがその人本来のものになるということです。ストレートな表現はストレートな受容から生まれてきます。オーラも波動もその人自身をストレートにダイレクトに表したものです。裏では変えられません。裏があるとオーラがくすみ波動が下がってしまいます。

他には、あなたの申す依存心がなく、すべての行動も発言も調和も何もかもの自分自身の存在というものに対しての身の回りに起きたことを、自らがしっかりと自らの自己責任により解決していき受容していくということです。そして、それらのすべてがオーラや波動に反映されます。自己責任をしっかり持ち意識した中で、人のためのお役に立つことができたり、苦難と思われることを乗り越えることができたり、人々に喜びや感動などといった愛を与えたり与えられたりすること、そんなめぐりを呼び込み自分のものとして受容することができたのなら、あたりまえのように輝き高くなっていきます。そして、そんなお姿を神も天も宇宙もなにもかもが味方してくれて、さらなる向上へといざなうことができるということになります。

それほど多くの時間がないということにおいて、今こういった技術やツールやメソッドといったものを用いて、こうした方が良いという導きをするのには、もうどうなのかなと思える時間帯に突入してきました。そういった、うわべから入ることも、それなりに必要としている人々もたくさんいるということはそういう認識でよろしいのですが、そういったことに頼ったりそれで良しと思って、さらなる向上である宇宙とのより近い位置での共存という状態を作り上げるために、人という3次元的な存在や、人から教えられたという依存心というようなものから少しでもいいから自立していき、自分自身のものであるオリジナルなやり方をどんどん築いていき、さらに宇宙に導いていただき、自分に合ったやり方や自分の状態というものを自分自身で感知して認識できるようになるということが、今後急ピッチでみなさんが意識して進めていくべきものであるということになります。

何も既存のものやこれまで教えられてきたことを脱ぎ捨てた方が良いといっているのではありません。そういった技法・ツール・メソッドというようなやり方探しをするのではなく、身に着けたやり方で自分にとって最高であると認識すればそれはそれでよいですし、人や宇宙から教えられたものであったとしても、どのように受容してどのようなやり方をするのがベストであるかをアレンジを加えるのもよろしいし、さらに自分自身でオリジナルのやり方が浮かんできたやり方が自分にあっている場合は、これは宇宙からのインスピレーションである可能性が高いので、特に大切にして習慣にすることがよいということになります。

波動を上げることやオーラを輝かせること、つまり魂の向上に向けて、今後はやり方を探す必要性はこれまでよりも重視しなくてもよいということになります。ただし、探そうとしていなくても、本や街角の看板などの物や言葉などを通して出会ったり、人に勧められてわくわくしたりするなど、表層の意識において探そうとしていなくても、奥にある意識や魂が鼓舞するようなわくわく感を感じるようなことに関しては、これは必然として宇宙から与えていただいた重要なものであるということになります。

繰り返し申し上げますが、やり方を探す必要はありません。しかし、めぐってきてわくわくしたやり方は必要なものであるということになります。そして、やり方を得て人に伝えるお役目を授かった人、人が目覚めるための手本となるべき状態に至った人、人を目覚めさせるというお役目に気づいた人は、どんどん波動を高めていく生き方を通して自らのオーラをより輝かせながら、必要な人々にどんどん分け与えていく義務があります。この分け与えることとは、言葉や行動で伝達することが必要になることもあるでしょうが、それよりも自分自身の在り方で示すということが最も大切なこととなります。

今、アセンションに向けて、宇宙はさまざまな人々の魂を向上させるために必要であるものを、惜しげもなくどんどん与えてくれています。探す必要などありません。波動をできるだけ高くしてオーラを輝かせることに全力を尽くしていれば、あとはまるで自然に、スムーズに、何も努力しなくても、調和も物質もチャンスも何もかもがめぐってきて与えてられます。偶然というよりも奇跡に近い状態であることすらあたりまえのようにめぐり、それをあたりまえのように受け取ることができるようになっていくということになります。そして、感謝し愛をめぐらせてさらにオーラの輝きを美しくしていけば、宇宙と一体となり共存しているということが確信できるようになります。

3次元の世に住まうあなたがたには、宇宙というのは遥か遠いもの、手の届きずらいもの、別世界であり3次元の地球の現実とは別ものである・・・そんなふうに、まだ思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそんなことはありません。あなた方地球人すべてが宇宙に直結していて宇宙に生かされ宇宙とともに生きているのです。宇宙の恩恵なしでは生きてはいけませんし、宇宙もあなた方地球人を含めた多くの魂や星などの存在のエネルギーにより、こうして存在することができているのです。持ちつ持たれつ、そんな普通であり身近であり同じであるという関係なのです。あなた方は、それをただ単に表面的な心とか意識とかという状態で、あまり認識してい方が多いということだけなのです。

宇宙の高い次元の波動やオーラに近づけば近づくほど、この宇宙とのつながりをより認知することによって得られる「大いなる愛による至福感」を、われわれとともに、より多くの地球のみなさんとも共感しあいたいと心より願っています。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

タエヌの本心

2007年12月15日
私の日記に書いた内容すべては、真実であり本心でもあります。

上の一文が結論です。もちろん、私の真実や本心のすべてを日記に書いているのではなく、ごく一部ということになります。ただし、ごく一部とはいっても重要であることの多くを書き残しているということにもなっています。

皆さんにお知らせしたいと思ったことや思わされたことを、書いているときにはその意味合いのようなものをそれほど考えることもなく、ただ書きたいという気持ちになって書く余裕がある時にのみ書いているという次第です。

最近、特に書きながら感じていることは、まるでたわいもない単なる空想の世界と思われるような理想の世界や、3次元的にはあまり認められないような思いのようなものなどといった、これから先のことであると思われることを、今という時を意識して書くことが増えてきたということです。

「あの時、実はこんなことを考えていたらそれが実現したんだよ!」「実はあのときはとてもたいへんだったけど、今となっては良い経験だったと思うよ。」などといった、世間によくある成功談的なあとづけにおいて、文章や話などで表現することは、とても簡単であり楽でもあり容易にできることでもあります。

私も、そんな日記を書くのでしたら、きっと今のように自分以外の同志の力をお借りしなくても、もっとあっさりと時間の余裕がある時に書くことができたかと思います。ところが、スピリチュアルメッセージはもとろんのこと、それ以外の現状や本心といったものについても、こうしてみなさんに読んでいただける状態のこの日記において書く時には、常に時間的な余裕以外に霊的な余裕と準備が必要になってきます。

べつに霊的な余裕と準備とはいても特別なことをしているのではなく、ただただ「わくわくにしたがって書く」ということに徹しているというだけのことです。そして、わくわくにしたがっているからこそ、こうして日記を書いている時間は、とても心は穏やかで幸せに満ちた状態、つまりわくわくしている状態ということになっています。

今朝は4時頃に起きて、朝風呂にゆっくりとつかっていたら、なんだかこんな日記が書きたくなったので綴りました。今、こうして書いた内容を読み返してみても、まあ普通に本心を書いただけなので、なにか意味があってのことなのかどうかはよくわかっていません。
日記

雨の日のひとりごと

2007年12月13日

今朝は、冷たい雨の中、デンプを保育園までバスに乗って送った後に、いつもの田舎道5kmをウォーキング&瞑想をしながら帰宅しました。

今日の雨の中のウォーキング瞑想は、普段以上に深く入り込むことができました。そして、ついに「来春に住んでいる場所とお仕事の計画」が完成しました。

昨日書いたバシャールの文章は、読んでいただいている皆さんを意識して書いたつもりだったのですが、私にとっても読むだけではなくて書き写すという作業を行ったことにより、さらなる気づきと目覚めが起こりました。特に心に響いたのは、以下の言葉です。

「自分の欲しいもの、必要なものが入ってこないときは、本当の自然な自分を出していないときです。」

「今日ワクワクするものと、明日ワクワクするものとが同じでなければいけないということではありません。 宇宙の中でただ一つ一定なのは「変化」だけです。」

「自然に自分に流れ込んできたアイディアに耳を傾けないで、社会の要請にちょうど合うようなものを探します。社会の期待に沿うようなものを見つけても、それは必ずしも自然なあなたと一致するとは限りません。なぜなら根本的に、あなた以外の人から与えられた答えだからです。合うはずがありません。」

まず、住まいですが、これまで内房沿いの南房総と決めていました。たぶん、先週中にそれなりの金銭が手に入っていたら土地を購入していたはずです。そもそも、なぜ内房沿いの南房総にここ数年こだわったかといいますと、富士山や対岸に位置する葉山近辺や浦賀水道(走水)周辺の波動がとても高くて、宇宙の同志のみなさんが多く集まっている場所であるということ。そして、ペンションやヒーリングスペースを作って人を癒したりおもてなしをしたりするのには、穏やかな海が見えて温暖な気候が適しているのではないかということ。この2点が大きな理由であり、そこに「房総半島の海の近く」という基本的に住みたい場所の条件として強く思っていることを加えた結果により、思考や固定観念によりベストな場所だと思い込んでいたようです。

ところが、これまではわくわくに従ってそう思っていたと感じていたのに、いくつかの疑問点や少しひっかかることもありました。例えば、2ヶ月ほど前に古民家を中心に貸家探しをしてみるという行動により事態を動かしてみたものの、その時も今の時点でも何も進展していないということ。果樹の中でも、杏とブルーベリーは育てたいと思っているのに、南房総では暖かすぎるかもしれないということ、ペンションやヒーリングスペースの経営は本当に自分が望んでいることなのかどうかということ、などです。

お仕事については、これまで行ってきたことに順ずることを行う予定でいました。妻も加わるので、これまで以上にやりやすくなるし、多くの方々に直接的にセッションすることにより、もっとお役に立てることができるのではないかと思っていました。そこには、収入ということも大きな意味を持っていて、3次元の世では普通である収支の見込みの計算というものも、ある程度出来上がっていました。ところが、本当にわくわくすることだけをお仕事としてピックアップすると、かなり変わってきます。特に、「収入を確保しなければならない」という、これまで教えられてきた固定観念をなくすだけで、大きく変わってきます。根本であり普遍である第一の目的は「奉仕(宇宙や地球や人などの自分以外のもののお役に立つということ)したい」ということではあるのですが、そのお仕事の内容が違ってくるということになります。

そんな中、バシャールの文章からの気づきとして、昨日のうちに本当に住みたい場所がわかりました。そして、なんとなく少し前から気づいてきていたこととバシャールの文章による気づきとが、今日の瞑想ウォーキング中に交わって、スカーンと顕在意識の中に飛び出してきてくれました。そして、急激にあたりがすっきりとして明るくなり体が浮かんでふわふわするように感じるほど、完璧な今後のわくわく計画ができあがりました。

もともと子どもの頃から住みたいと思ってあこがれていた場所は勝浦周辺。感覚的に素晴らしさや気が合うことをずっと感じていたので、数年前までは絶対に住みたいと思っていた場所。ここ数年は、2番手になっていたけど、やっぱり常に気になっていた場所。その場所をさらに特定すると、勝浦周辺の中でも、天津小湊近辺です。思えば、私にとっても妻にとっても、ネガティブになるような要素がまったくない、すべてのわくわくを感じる場所でもあります。昨晩、この住む場所についてのあらたな提案として妻に話しましたが、おもしろいことに妻も同じ事を昨日の日中に考えていたとの事で、妻も私も、ほぼ同じころに、天津小湊へ旅していたことがわかりました。結局話をした内容は、館山周辺はやめにして、天津小湊近辺で決定ということを確認し合っただけでしたので、短時間の話で済みました。それにしても、つい最近まであれだけ盛り上がって身をおいてみたりかなり詳しく調べ上げたりした土地である館山周辺に住むという計画が、たった一晩の10分程度の話で白紙になり変更されるというのですから、今になって思うと、なんだかおもしろいな~という感じです。

次に、私と妻のお仕事の内容についてですが、そのすべての基本は、私と妻がわくわくに従って実生活を送るということになります。

そして、その経験していることについてのパーソナルな日記、さらに高次元の同志のみなさんからのメッセージやスピリチュアルな内容などを、ブログや本やホームページを通して、文章や映像により発信するということです。つまり、現時点の私が行っている状態をそのまま続けるということです。

ペンションはやめました。そういったことで人をおもてなしするといううのは、私のわくわくとはちょっと違うことに気づきました。でも、もしお越しいただける方がいらしたら、普通に家族が友人をお招きするように愛をもっておもてなしをしたいということです。そんな我が家を、天津小湊近辺の海の見える小高い土地に建ててみました。

ヒーリンスペースで以前行っていたような、レイキの伝授・神道フーチによるリサーチ、スピリチュアルアドバイス、メールによるご相談、水晶等の天然石やブレスレットの販売を引き続きおこなうかどうかとか、行う場合には具体的にどのようにするかといったことに関しましては、今のところすべてを保留にするという結論にしました。このことを考えることが多く、この思考の領域だとあまりにもパラレルワールドが多すぎました。これを、すべて保留にすることで、すべてが解決できました。

結局、まとめてみると「天津小湊近辺に普通の家を建てる」「今のような仕事をしばらく続ける」という2点だけが今回の瞑想によって得た答えです。こうして文字にしてまとめてみると、なんだかたいしたことのないように写りますが、私にとってはたいへん大きな真実ということになっています。そして、身の置く場所である住む場所は、きっとなんとかなっていくのだろう…という感じで今までは受け止めていましたが、今の時点では、これで大丈夫!という確信のような安心感でいっぱいです。
日記

バシャールや高次元の宇宙の存在が表現する「わくわくすることを選択する」という言葉の意味

2007年12月12日
宇宙における真実を日本語によって表現をしようとしたとき、日本語の言葉や表現によっては、とてもあいまいになったり誤解されたりしてしまうことがあります。そんな中でも、バシャールを筆頭に宇宙の同志のみなさんがよく表現する「わくわくすることを選択しましょう」というこの表現も、とても意味合いが広すぎるために、少し取り違えたりちょっと誤解したりしてしまっている方もいらっしゃるかもしれません。

「わくわく」という言葉は、広辞苑によると「期待・喜びなどで心がはずみ、興奮ぎみで落ち着かないさま。」という意味であると書かれています。つまり、感動とか感激とかという表現に近いものということになります。

わくわくすることをやってください…わくわくすることを選択してください…わくわくの気持ちにしたがって生きましょう…

こういった表現において「わくわく」という言葉を広辞苑に書かれている意味にあてはめてみますと、日常的には当てはまらない場面が多々出てくると思います。

例えば、尿意を感じたからトイレに行くという選択をして行動したとします。トイレに行くということは「期待・喜びなどで心がはずみ、興奮ぎみで落ち着かないさま。」という感動や感激という意味合いの選択ではありません。でも、行くか行かないかという選択の中では、最良の選択であるといえますし、これも本来のわくわくを選択したという事実でもあるのです。

人はこの世において肉体を持って生きている限り、毎瞬毎瞬が選択の連続です。そもそも、今、こうして肉体を持って存在している、つまり生きているということも「生きる」ということを常に選択しているという結果となります。「目を開けて物を見る」これも選択結果です。では、目を開けて物を見るときに、感動や感激を常に感じるかというと、感じることもありますが、ほとんどの場合はそこまで感じないはずです。それでも、行動しているときには目を開けて物を見るということを、自然なこととして無意識のうちに選択をしているはずです。そしてこのことも本来のわくわくを選択したという事実でもあるのです。


魂が肉体をまとって3次元の世に存在してから魂のみの状態に帰るまで、地球人類が地球上の物質的存在という状態においては、意識上においての選択もしていますが、ほとんどの場合は無意識や潜在意識によって瞬時にわくわくすることを選択しています。この、無意識における選択は、本来の魂によるものであり宇宙とつながっての選択でもあります。この選択こそが「わくわくすることを選択している」という、一番わかりやすい事例ということになります。しかし、地球人類の行う選択には、思考によって表出されている顕在意識の中での選択というものが、魂の向上や人としての在り方にとって、たいへん重要となっているわけです。

前置きが長くなりましたが、それではこの顕在意識においての「わくわくすることを選択する」ということに関しまして、BASHAR②という1989年に㈱VOICEより刊行された本の中の文章をそのまま引用することで、説明させていただきます。ちなみに、この文章は、1年ほど前に私がこの本を読んだときに感動してコピーしたのですが、一度も読み返すことなく紛失してしまっていました。それが、急に1週間ほど前に表れて、一昨日に読んだら「なるほど~言葉で表現するとそういうことだ!」と感激した文章です。


以下は、ダリル・アンカがバシャールをチャネリングした話の内容です。


私たちが皆さんにワクワクすることをやってくださいというのは、次のような理由からです。

皆さんの「自分は誰か」という存在の表現、波動が「ワクワク」です。自分の存在の周波数を肉体的なレベルに翻訳した言葉が、ワクワクという気持ちになっていきます。それが、みなさんを導いていく信号になります。ですから、自分の歩みべき道を歩むことは、本当は簡単なのです。ひとりでにワクワクした気持ちが出てくるものなのです。

皆さんの文明では、何千年もの間、本来の自然な自分に抵抗したり、否定したりしてきました。ワクワクするものは抑圧しなければいけない、と学んできたのです。なぜなら皆さんは「人生というものは辛いものなのだ」と年上の人から教えられてきたからです。

でも、だからといって、私たちはただワクワクしていればいいと言っているのではありません。ワクワクしてくださいといっても、毎瞬毎瞬、飛び上がっていなければならないということではないのです。

「ワクワク」というのは、自分が本当にやりたいことをやっている、やりたいことを知っている、もしくは、非常に内なる心の穏やかさ、心の平和がある、ということなのです。

「ワクワク」の波動は、存在の非常に基本的な波動です。創造的な力です。ですから、それを感じるときには、自分がとても強力になっていることを感じられると思います。

また、ワクワクしているとき、自分が他の人を輝き照らしていることが分かります。生きている光だということを、他の人に示すことができるのです。

自分がワクワクすることを始めるとき、二つのことが起こります。

第一に、非常に素晴らしい偶然が次々と起こります。常に魔法のように、あるべき所に、あるべき時に、あるべきことが起こります。

そして第二に、自分のやることが、努力なしに進むようになります。

「自分自身が誰か」を示すことを自然にやっているからです。

皆さんが、自然な、本来の自分であるとき、宇宙は非常に楽に皆さんをサポートすることができます。

自分の欲しいもの、必要なものが入ってこないときは、本当の自然な自分を出していないときです。ですから宇宙の方では、どれを誰にあげたらいいのかまったく分からなくて、ウロウロしてしまいます。皆さんが本来の自分自身でないとき、宇宙は皆さんを見つけることができないのです。

もうひとつ、こんなことがあります。

まず第一に、自分はなんのために創造されたのかを、自分で感じとることができます。

第二に、自分はすべての創造物とつながっている、と感じることができます。

第三に、本来の自分自身であることのお返しとして、豊かさがすべて自分に戻ってきます。

この世の中では、非常にたくさんの人が、自分の人生の目的や使命を一生懸命に探しています。探すことを喜んでいる人はそれで構いません。でも、本当に見つけたくなったら、それは非常に簡単なことなのです。ワクワクする気持ち、興奮する気持ちが、どれが一番近道なのかを教えてくれます。

だからといって、今日ワクワクするものと、明日ワクワクするものとが同じでなければいけないということではありません。

宇宙の中でただ一つ一定なのは「変化」だけです。

ワクワクすることをやっていると、いろいろなものはひとりでに、どんどん変化していきます。今の仕事や自分の持っているものとは別なものに魅かれてワクワクすることもあります。それでも結構です。心に描いている大きなビジョンや夢、そういったものに対するアプローチの仕方、ライフスタイルも変わっていきます。

自分の使命はなにか、人生の目的はなにかと、宇宙に祈るとき、自分が一番ワクワクすることが答えになります。

この世界では、小さい頃から何々しなければならない、「ねばならない」ということをたくさん与えられてきました。

自然に自分に流れ込んできたアイディアに耳を傾けないで、社会の要請にちょうど合うようなものを探します。社会の期待に沿うようなものを見つけても、それは必ずしも自然なあなたと一致するとは限りません。なぜなら根本的に、あなた以外の人から与えられた答えだからです。合うはずがありません。

しかし、だからといって人からのアドバイスを無視していいということではありません。他の人からもらったアドバイスを、自分で、自分のために選ぶことができるということです。

すべての痛み、苦しみ、病気は、自然な本来の自分になることに抵抗することから生まれてきます。自分自身が非常に疲れるのは、本当の自然な自分に一生懸命抵抗しているからなのです。

一番簡単なのは、本当の自分になってしまうことなのです。

逆に、一番むずかしいのは、自分以外の自分になろうとすることです。

ときには、こういうことをすぐ分かる人もいますが、そうでない人は、一生懸命、一生懸命、自分以外の人間になろうと、くたびれ果てるまで続けます。本来の自分になるまでに、どの位の時間を費やすかは自分で決めればいいことです。

ここでひとつ皆さんに申し上げておきたいのは、いままで皆さんがやってきたことの中で、無駄なことはひとつもないということです。すべてのことから学ぶことができるということを知っておいてください。ですから、今までの経験を捨てたり、逃げようとしたりしないで、その中から得た知識と共に前進してください。

そして、自分にとって。他の人とは違う非常にユニークなやり方でそれを応用していってください。

それが、ワクワク興奮する、ということです。

それによて、あなたは満足することができます。
スピリチュアル

たわいもない話とちょっとした自慢話

2007年12月11日
今日は、デンプを保育園に送ってから5kmほどウォーキングして帰宅したあと、家から15kmほど離れた熱帯魚のお店まで、買い物に出かけました。専門的な用品のため、手に入れるにはこのお店が一番近いということになるのですが、車なら20分ほどの道のりを、アップダウンの厳しい中、自転車だと1時間以上かかりました。途中で市役所やジョイフル本田などにも寄ったので、40km近く走って、合計2時間半ほどのサイクリングを楽しみました。それでも、もうすっかり慣れてしまって、ほとんど疲労感は残っていません。もう1時間ほどしたら、また保育園まで5kmのウォーキングをします。あっ、ちなみにこれは、ちょっと体力が回復してきたよ~というオッサンの自慢話ですが~それにしても不思議なことに、体重はここ1ヶ月ほどあまり変化がありません。な~ぜ!?

ここのところの1,2ヶ月は、個人セッションのお申し込みをお断りすることがほとんどでした。今後も来年の4月頃までをめどに、引越し先、本の出版、債務整理の件、仕事についてなどが落ち着くまでは、予約をお受けしないつもりでいます。でも、昨日はそんな中、特別にお受けして、朝から夕方までスピリチュアルアドバイスをしていました。

年末のこの時期に毎年らっしゃる方で、今回で3回目。1年ごとにお会いするたびに、驚異的な目覚めをしていることがはっきりと感じられる方ですが、昨日もすばらしい目覚めをまだまだ続けていることがわかり、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。そしてこの方は、近々めでたくご結婚をされる予定。今回、お断りしなかったのは、このことを知っていたので人生のこの大きな転機に、私なりにお役に立ちたい…という気持ちが先行したからです。

終わってみての私の感想としては、会ってお話できて良かった~という充実感や満足感100%です…が、高次元のエネルギーに包まれながらたくさんの霊力を使っての約5時間にわたるスピリチュアルアドバイスの疲労感はものすごいものでして、めずらしく翌日まで持ち越してしまうほどでした。ちなみに、先ほどまでしていたウォーキング&サイクリングは、霊力回復をするためにリフレシュするということが第一の目的でした。そのおかげで、今はもうすっかり元気になり、こうして文章を書くことができるようになりました。

それにしても、自分でまいっちゃったのは今日の昼ごはん。最近、肉食が極端に減ってきて、本当にやめちゃうかも・・・なんて思うところまできていたはずなのに、サイクリングの途中でおもいきり空腹になり、選択したお店は吉野家。なんと牛丼特盛と卵とおしんこ720円・・・・・・・・なんだかなーと思いました。

本といえば、4歳半になるデンプも小1のアマンダも、あれからずーっと絵本の著作活動を続けていますが、驚いちゃうのはデンプの覚える早さ。ひらがなはほぼ完璧に読めるようになり、鏡文字はあるものの、ほとんどの文字を書くこともできてきました。カタカナもだいぶ覚えたようです。そして、なぜかアナログ時計の読み方まで覚えようとしていて学習中です。今朝書き始めた本の表紙には、なぜか1~21までの数字が並んで書いてあります。ちなみに、親や兄弟にわからないことを聞きながら、独学と表現してもよいほどに、だれも覚えさせようとか教えようとかしていないことなのに、すべて自主的に取り組んでいます。あっ、もちろんこれは単なる我が子の自慢話ですが~
日記

ここ3日間のお仕事

2007年12月04日
振り返ってみると土・日・月のここ3日間は、家族のためにお仕事(充実感を感じながら奉仕すること)をするということに専念していました。

土曜日は小学校のマラソン大会だったので、1年の次女アマンダ(仮名)と5年の長女の応援に行きました。1年も5年も学年の児童数が24,5人という少人数。学校全体の児童数も年々減り続けて、ついに今年は200人を割ってしまったという、とても田舎を感じさせる学校です。

アマンダは、毎週末には15km前後のウォーキング&ジョギングをしてがんばっていましたが、600mではその成果は順位として表れず、1年女子11人中第11位でした。最後の直線でのブービー争いでは、抜かせるのでは…と思ったのに、抜かさなかった?と思うような感じでゴール。アマンダは、我が家では最も癒し系の娘でマイペースでのんびり屋。だから、そんな順位はまったく気にしていないようで淡々としていましたが、応援していた4歳の娘デンプ(仮名)は号泣。アマンダとは正反対の負けず嫌いで勝気な性格。この対照的な娘たちの姿を見て、親としてはなんともいえないおもしろさを感じました。

長女は昨年、12人中11位という実力の持ち主。ところが、今年はちょっと違ってねらいは6位以内。結構陸上の練習をがんばったので、急激に体力や筋力がついてきました。結果は、最後の直線で競り勝っての12人中6位入賞。本人も周囲も親もびっくりの結果でしたし、デンプも今度は泣かずに淡々としていました。ちなみに中2の長男も小学校の頃は長女のようにマラソンの順位はクラスの真ん中程度でしたが、現在は中学校の学年で男子40人ほどの中で2位か3位。マラソン大好きなマイペース男がやっと花開いてきました。

日曜日はここ2ヶ月間我が家の恒例となった、サイクリング&ウォーキング約15kmをしてショッピングや外食を楽しんできました。

夕方、ユンフィアさんが野菜を届けてくれました。今回いただいた大根は、ゆずのたっぷり入った甘酢漬けにしました。この漬物は我が家のみんなに大好評です。昨日の夕飯はきりたんぽ鍋にして大根をいただきました。いつも自家栽培のおいし~お野菜をたくさんいただいて、本当に感謝感謝!です。ちなみに、ユンフィアさんが車で野菜を届けに来てくれたとき、夕方にも関わらず、すでにワインを1本飲み終わったところで、これはいつもの我が家での私のスタイルですが、ジャージに半そでTシャツ一枚のまま玄関を出てしまい、そんなおっさん姿を見せてしまいました。今思うとちょっとはずかし~ってな感じです。。ユンフィアさん、失礼しました~…。

昨日は、小学校が土曜日の代休でお休みだったので、長女とアマンダ、そして保育園を休んだデンプの3人娘と私とで、娘たちの産土神社である下総の国一ノ宮の香取神宮へ参拝に行きました。車だと1時間弱ですんなり行ける所ですが、今回は初めての電車を使っての旅となりました。みんなで小さなナップザックを背負ってちょっとした遠足気分。電車を乗り継いでの片道1時間半弱の時間は、なんだかとても楽しくふんわりとした暖かい時間に感じました。香取さままでは、最寄り駅から歩いたら、2つの小高い丘の登りを含めて2~3kmの道のり。デンプのペースに合わせたので50分ほどかかりましたが、ここのところの我が家のウォーキングの距離からすると、なんだか短く感じたのがおもしろかったです。ご拝殿で拝むときは、いつも私が一番長くなるのですが、今回はデンプが一番長くお祈りをしていました。なんだかたくさんの夢を持っているし、クリスマスも近いということで願い事がいっぱいあったようです。。

そんな3日間は、見事なくらいに何も文章を書く気持ちにならずにいました。出版に関する原稿も、先週の水曜日に最終チェック原稿が宅急便で届いてから何度か読み返したのに、この3日間はまったく手をつける気持ちになりませんでした。完全にオフといった感じでした。

でも、今日はすでにパチンとスイッチがオンされた感じで、朝の5kmウォーキング中から、たくさんのインスピレーションが入ってきたり、出版のお仕事がしたくてむずむずわくわくしたりしています。

みなさんにとっても私にとっても、今日もわくわくする1日でありますよーに
日記
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