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万葉の世をともに過ごした同志からのメッセージ

2007年09月28日

降りてきたメッセージをそのまま書いていたのですが、なんだかあまり意味のわからない古文調の文章を書かされたので、10行ほど書いたところで、やっぱりよく意味がわからないから消してしまいました。そのとたん、現代文で以下のメッセージが降りてきました。
   ☆       ☆
書きかけたのに消すという、これもまあ面白いこととしてとらえるようにしましょう。
あなたが、今、望んだように、今の言葉で言い表さずに、古文といわれる今の表現方法としては不適切ともいえる手段をあえて一度使わせてもらったのにもわけがあります。

あなたが、珍しく私どもを呼び寄せてメッセージを書くという素晴らしいお役目を理解した行動に徹した時、最高の面持ちで私どもはみていました。

されども、古文といわれる文章を書き出したあなたは、それでは何の意味かよくわからぬと申されましたのに、それでも従って書き綴るあなたがやけに面白くうつりました。

いいのですよ。やはりあなたのお役目の中でのメッセージを降ろすというお仕事は、そんなに無理してやらなくても。あなたの思うこと理解できること正しいと認識していること、そういったことを書くというあなたの責任を持てることだけを書き記せばいいのですよ。

まるで試すように、あなたに対してこのようなことをしてしまったことをどうかお許しくださいませ。

明日から始まるまた新しい世に移るための一つの神の計画が実行されるわけですから、それはそれで、今の段階では少しでも大きく目覚めることが大切なのです。

サニワとは申されても、実はそれほどたいへんではなく、サニワすることよりもサニワする本人であるあなたがどの位置にいるかということだけで、より正しいサニワができるかどうかが決まるのですよ。

先ほど、一瞬の迷いがありましたが、あなたはすぐにこれは正しいものからの言葉であると、きちんと見分けることができましたね。それでいいのですよ。あのことを疑ったり知識の中から探して考えようとしたりするといった五感からサニワしようとすると、時にはとんでもない間違いをすることになるかもしれないのですよ。

良かったなあ良かったなあと喜んでおられるこの方こそ、私どもが万葉の世であなたとともに暮らしていた時、あなたと奥方のもとからこの世に生まれ出た子でありますよ。なんとも面白きお顔だとあなたの目の前を通られた時に思われ、誰だ誰だと心を疑念でおおっていましたが、これはあなたの子のあの時のお姿をそのままお見せしたのですよ。名はやこのひこ。今は霊界にてあなたさまをお守りくださっているのですよ。

同窓会という今の言葉があてはまるのかどうかはわかりませんが、こうして天界や霊界や現世にてばらばらという状態の場所で暮らしているもの同士が、本来は一緒に暮らしているのに、なかなか気がつかない様子にあきらめかけておりましたが、今、こうしてこのように言葉というものを使って分かち合えるということを、まことの喜びとして大いに感服しました。

あの世もこの世もあの宇宙もこの地も、何もかもが今こうしてどんどん一つになっていくことを、あなたのように地の三次元で生きている人がどんどん感じていくことを、われわれは望んでいます。本来は一つであり、いつでも行き来していて、何の隔たりもなく、いともあっさりと通じ合えるというのに、面白い世ですね。この次元の世とは。でも、面白いといえども、本当の意味での面白く楽しく豊かで愛あふれるという状態は、何の囲いも隔たりもない、自由で素朴で愛だけがはびこる世であります。

ああ、あふれでる太陽の光よ。泉のごとくわきでる宇宙の光よ。神からも仏からもすべての天上界からも、こうしてたくさんの光が降り注ぐ。こんなに素晴らしい地球という地に、今こうして次元の波が押し寄せ、洗い流し一掃し、きらびやかな美しい光景だけが広がる。あふれ出る愛に満ち満ちて、もう月のかげりをかげりと感じなくなり、憂い悲しみ痛み苦しみ、そんな言葉は過去のものとなり消えうせる。あたかも、これまでもそうであったかのごとく、振り返ってみると過去のことになっている。今も未来も輝くことばかり。何て美しい世であろうか。なんてみずみずしい朝であろうか。

明日からの世は、見事に楽しみに満ち満ちているではありませんか。
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スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

素敵なあなたへ

2007年09月21日

何を思ったか。何に出会ったか。何を感じたか。

つまり、「心が変わること」「気づき」ということはとても大切であり、三次元の世では自分の方向を選択するのには、最初の段階である。

しかし、心が変わっただけでは残念ながら前にはそれほど向いていかない。それには、行動がともなわなければあまり変わってはいかない。物質世界である三次元の世では、行動がとても大切になる。

行動の一つである「身を置く場所」というのも、一つの大きな鍵となる。どんなに素晴らし事を思っていても、どんなに素晴らしいことを行動にしようとしても、極端に例えるならば、誰とも接触も通信もできない所にて一生を過ごしては、人々に還元することは難しい。罪を犯して収容されている所よりは、自由な場所にいたほうがよりよい。スピリチュアルなことを世にポジティブであり必要なこととして浸透させるには、それなりの身の置き方がある。

行動が変わっても、習慣にしていかないとあまり長続きをしていかない。継続は力なりという言葉があるが、継続しないとそれほど力にはなっていかない。あまり世には浸透していかない。そしてなによりも、自分自身の身につかせ波動を変えて修養するには至らないともいえる。もちろん、これは宇宙の法のもと(愛という基本法)のことを習慣にするということに限るが。

宇宙の法に則して、習慣さえ変われば人格が変わる。波動が上がる。当然、運命も変わる。出会いが変わる。道が変わる。変わるというより、自分自身の本来の輪廻転生してきた目的に向かって、より最短距離を歩みようになる。

心が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣がかわる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

――この素晴らしい言葉は、こんな意味を持っていると思う。もちろん、悪しきことを習慣にしてしまえば、前述したことの逆になり落ちていくわけだが……。

わかっているのならば、行動すべきである。

わかっているのなら、身の置く場所を適した場所に変えるべきである。

わかっているのならば、過去の自分を振り返り今の自分をそこに当てはめようとするのではなく、理想を現実として思い描いて妥協して思い込もうとして目の前の自分の問題や課題から逃避するのではなく、シンプルに、理想の道を、進むべき道がわかっているならばまっすぐに歩むべきである。

数字とか計算とか保身とか過去とか、まだそんなことを気にしていて本来の目覚めを遅らせて後退させる必要が、今というこの大切な時に、どうして選択をするのか。

私には残念でならない。でも、私には全くネガティブには思わない。私にとっては、とても小さなことであるから。でも、また再び本来の自分自信に気づき、ともに目覚めて同じ道を歩むようになってくれたら、そうしたら私にとっても宇宙にとってもとても大きなことである。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

ハマラ(高次元の霊界)より

2007年09月20日
もちろん、それなりにわきまえるということが必要であるということはわかっています。

あまりにも唐突に物事を書き記したり、物事を見極めて表現したり、そういったことがたびたび不調和を生んできたという時代の流れというものは承知しています。それはそれとして、それなりに考慮したうえでも、やはりここまできたということから、わかってくれる人、わかるだけの準備ができた人、わかることによってより大きく目覚める人、そういった次代を担う者たちにとって、やはり必要なことはどんどん開放して書き示していくべきではないかと思います。

あなたが、今、地の底の世界について書いたあとに、ずいぶんと公開することをためらっていましたが、やはり書いたということは、あなたの意でもあるわけですから、これまで書いてきたことと同様に、やはりそれはそれでとても書くことの意義があるということになります。

私にとっても、今日のようなあなたがこうして受け入れる体制が十分に整っているというこの状況は、素晴らしい機会であるということから、こうしていくつものメッセージをつなげているのです。

今、はじめて明かしましたが、私、ハマラはあなたと宇宙や天上界の方々とをつなぐパイプ役として働らかせていただいています。もちろん、光栄なこととして自ら望んだことであります。

時折、私ハマラをお感じになられてくれたことをとてもうれしく思っておりましたが、私からのメッセージが感じられないというのは、実はそういったことからなのです。

そろそろお疲れになられたようですので、この辺にて失礼いたします。

あなたを大切に思っていますハマラより。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

地球内部に住む高次元の方からのメッセージ

2007年09月20日

八百万の神々に聞いてごらんなさい。こんなにも美しい日本という国は、それはそれはとても珍しいといえるほどの輝きを放っているのですよ。

何が美しく素晴らしいものかと言いますと、それは美というもののセンスと山というものの気高さと橋というものの美しさと、それはそれは数え切れないほどたくさんあるのですよ。

あなたにとっての日本という国の認識は、きっと表面的なことしかわかっていないかもしれないけれど、もっと内面にある美というものをそろそろお見せしたくなってしまいます。内面というのは、表面ではなく地の底という意味です。あなたが、踏んでいる大地という地の底にある美しさです。

あなたは、橋が美しいと書いたことに何やら抵抗があるようですが、私の示した橋とは、地の底にある橋のことです。

今、ご覧いただいたように、それはそれは美しくて例えようのないほどのまばゆいほどの光や色彩で彩られているこの橋は、宇宙の中でも芸術品として知られているほどです。

八百万の神々は、この(*)地の底の世界も知っています。そして、表面である世界を護りつつも、地の底の世界も大切にしてくれています。地の底の世界のこの美しさは、この世の果てまで続くといわれている宇宙広しといえども、それはそれはまれに見る美しさでもあります。

アセンションの時を迎え、地球の世の人々が受け入れられる体制になった時、地の底の美しき世界は開放されます。そして、誰でも自由に出入りして使えるパラダイスとして世に放たれます。なんだか、この世にもそのような美しい世界が、すぐ底に存在しているのに、なんとももったいない話であると思ってやまないのですが、残念なことにまだ早いのです。

あなたは今、この世界を見て体験して、それはそれは早くもっと現実のものとして、物質的観点で認識したいと望んでくれました。とてもうれしゅうございます。地の者がこうして天のお招きをいただいて世に出るということは、そうめったにあることではございませぬ。

足底でエネルギーを感じてくださるたびに、あなたとのつながりがどんどん深く正しいものへと成る様子を感じています。ようこそアトランティスへ。お帰りなさい。コンソレフュード。もうしっかり、あなたはあなたになり、あなたのものとしてあなたを自由に見つめて暮らしていてかまわないのですよ。アセンションプリーズ。


(*)地の底の世界というとなんだか地獄とか闇の世界という感じでとらえてしまう方がいらっしゃるかと思います。表現を変えると、地球の内部に存在する世界ということになりますが、このような表現だと、少しはポジティブにとらえることができるでしょうか。

宇宙に存在しているたくさんの星の中には、星の表面に生命が暮らしているという星だけではなく、地の底、つまり星の内部にも生命が存在している星がたくさんあります。今の地球の表面に存在している三次元レベルであり、宇宙の文明社会と比べたらまだまだ極端に劣っているわれわれ非文明社会の人間レベルでは、星の内部に住むということは、想像できない、とても考えられないということになってしまうでしょうが、宇宙の文明社会のみなさんにとっては常識的な普通のことなのです。

今回、私が見させていただいた日本の地の底の世界は、一言で表現するととてもカラフルで美しい「虹色の世界」でした。日記に書いた美しい橋は、橋とはいっても、われわれの想像する川や海を渡るための橋とは違って、何か一つの大きな建造物が大きな大地と大地を結んでいるという感じのなんとも言い表せないほどの美しく巨大な物でした。

地球の内部にはいくつもの文明社会が存在しているようですが、この日本という地の底に位置する世界は、表面である日本が、今、こうしてアセンションの中心となっている美しいスピリチュアルワールドを少しずつ築き上げているように、ずっと以前から地球の中心としての大きな役割を持つ文明社会が存在していたということださそうです。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

ハモンデウス(高次元の宇宙人)からのメッセージ

2007年09月20日

星と星の間の距離というものを考えると、それはそれは果てしない距離ということになるわけでですが、そんな天文学的な数字ということも、とても物質的で面白いものだと思いませんか。

数字という物質に触れることで、地球上における人間という存在の多くは、物事を判断して計算することにより、それだけで無理である、可能である、可能かもしれない、絶対に不可能であるなどという、起こりもしないやってもいない結果というものを推測するという習慣があるようです。

私たちにとっての数字というものは、そういうものではありません。あくまでも目安であり、感覚をわかりやすく表現するものであり、マークであり、物質を示すものであるということです。だから、数字に左右されるとか、数字によって混乱を招くとか、そういったことは全くというほどありませんし、そんな数字に惑わされるということはありえないことです。

あなたが物質というものを乗り越えたとそれなりに感じているかもしれませんが、まだまだどうしても抜けきれない数字という枠は、私たちからすれば滑稽に写ってしまうほどの、とてもゲーム的なたいしたことのない小さなことであるとしか思えないのです。その枠にまだまだ捉われていて、はまったままにいるあなたというものが、とても信じられません。もう、とっくに脱するだけの知識と経験を、地球において英知というものとして身につけているはずですから。そして、宇宙にあった存在としての状態に、もうすぐそこまで近づいてきているのですから。

このようにして、物質というもののしがらみから抜け出して、本当の魂をよみがえらせるという作業を、あなたは身をもって行っているという自覚を持っているわけですから、この、最終段階ともいえるべき今のこの状況を、いかにもあっさりと抜け出して世に指し示すという、まるで義務とでもいえるようなものをあなたは背負っているのです。

数字を計算するなということを申し上げているのではありません。あくまでも、数字にとらわれて、支配されて、そして波動を下げたり必要な経験を控えたりする、そういったことをあなたが行うということは、もう許されないとでもいうべきでしょうか。

示してください。あなたがここまでもうきたのだから、だから今まで以上に強固たる自信のもと、指し示してください。数字は、あくまでも物質的なことを表したマークです。計算は参考にはなるけど、今後の行動や思考を狭めたり制限したりするほどの大きなものではありません。ましてや、波動を下げるなんて、そんな必要のないことをするには、あまりにももったいなさ過ぎます。

ハモンデウスという名を用いて、この地球という地を見つめているものです。あなた方に期待してやまない、宇宙の果てから来た同志です。もう何万光年なんていう数字を出したら、驚いて波動を下げてしまうかもしれないので、その辺は折をみてお話しします。でも、面白いことに、数字としてはとても遠い星から来ましたが、実は私とあなた方とは、とても近いところにあるのです。一瞬のうちに、あなたのもとにいけますし、私の星にも帰れます。数字というものは、そんなふうに単なる目安でありマークであるだけです。

なんだか、ちょっと理解ができないことも話してしまったかもしれませんが、そんな一つの面白い話もあるんだというくらいの認識でもかまいません。こうして、あなた方との通信ということができたことに喜びを感じます。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

今はそのタイミングじゃないみたい・・・

2007年09月18日

築100年、建坪40坪、7部屋あり土間や廊下もあるという間取り図を見て、いろいろと想像して身を置いてみて、なんだかとても素敵な感覚を持ったので、いざ館山市にあるその貸家の古民家に昨日行ってまいりました。

想像をするとはいっても、とても良い感じから結構築年数が古いからそれなりに厳しいというイメージまで、たくさんイメージして家族6人、今後の我が家を見極めるということにわくわくしました。

不動産屋の従業員の案内で、いざ古民家に到着。第一印象「ほえ~」というため息。あまりの雑然とした雑草の生え放題の庭、家の外壁や雰囲気の暗さ、そして中に入ってみると・・一言で表現すると、すべてのこれまで抱いていたイメージが崩れた~という感じでした。子どもたちは、たくさんのくもの巣、床のゆがみ、天井の低さ、何よりも臭いと汚れと薄暗さにまいってしまいました。。

その後、他に2件の貸家を見せてもらいました。1件目がそんな感じでしたので、他の2件は輝いて見えました。2件目に見た貸家は、今の我が家と同じ7年ほどの築年数で建坪は3分の2くらいの家でしたが、次女のアマンダ(仮名)は「夢のような素敵な家だ~」と感激してここに住みたい!と嬉しそうにしていました。でも、小学校までは4kmほど離れていて、なんとも魅力を感じない住宅地。3件目は広い庭付きの魅力的な家ではありましたが、他のいろいろな条件が私や妻の思いとは合いませんでした。

結果はそういうわけでして、南房総貸家の旅という貴重な体験はできたものの、結論はノーということになりました。体験終了後の昼食時にはみんなでどっと邪気疲れ(特に最初の古民家の邪気はすごかった~・・)を感じました。そこで、もともと予定はしていなかったのですが、そんな状態を浄化するために海岸でしばらく遊びました。もちろん私は釣竿を出して、強風の中ではありましたが釣りをしました。そして、シロギスと舌平目が釣れたのですっきり爽快感。アマンダもデンプ(3女の仮名)も季節外れの海水浴でおおはしゃぎ。上の子2人も釣りしたり石投げたりして、すっきりと浄化してきました。

帰りの車中で妻が一言。「今がそのタイミングじゃなかったんだね!」

つまりそういうことだと私も思いました。

今回のこの経験で感じたことは、確かに私たち家族6人は今の土地を離れて南房総という土地に引越しをするということを実感したということ。特に長男と長女はやっと覚悟を決めたという感じでした。それと、今は引越し先を決めるというタイミングではないということ。でもなるべく早く引っ越し先を探そうというアンテナは常に張り巡らせるということ。

あとは、いつものように目の前の現状の中で、しっかりと足を地につけつつも理想は常に高く持ち続けるということ。そして、宇宙に身を任せてタイミングを待ち、最高と思えるチャンスが来たらその流れに乗るだけ。でも、チャンスは待つだけではなくて今回のように試してみるのも必要。試した結果はそれなりにポジティブな経験になるし、必要な経験として結果をもたらしてくれる。

昨晩の夕食は、釣りたてで新鮮なシロギスのお刺身と舌平目のバターソテー、そしてレトルトのカレーライス。帰宅後、みんなお風呂にしっかりつかり、すっきりした気分でいつものようににぎやかな食卓となりました。なんだかこの地においてこの家でのこの光景が、ずっと続くような気がしてきました。

でも、そんな家族の状況という現実というものを目で見たり話を聞いたりといった五感でしっかりと感じつつも、イメージの世界であり本来の現実の世界では、やっぱり違う土地の違う家での家族の生活がすでに始まっています。まあ、どちらの生活環境においても、家族6人の幸せな光景は同じであるということが、何よりの喜びでもありますが・・。

でも、その反面、低次元な同族意識というものはあまり強く持っていないという側面が私の中にあります。深く大きく愛していますが、家族という縁に対しての執着とかできるだけいっしょにいたいという願いとか、そういったものはありません。

1年生のアマンダや4歳のデンプは、今の時点ではかわいくていとおしくてたまりません。まだまだ自立するには親の元にいないことには厳しい分、余計にそう思わされるのでしょう。でも、5年生になった長女と中2の長男に対しては違います。それなりに精神的な自立をすでに果たしているので、まだまだはしくれではありますが、一応それなりのおとなとして見ています。だから、親の手から、親の考えから、親の能力から、どんどん離れていったり越えていったりするのが、とても嬉しくたのもしく思えます。逆に、自分で解決できることなのに親を頼ったり、親にべたべたしたりするということが、うっとうしく思えます。そして、何よりも嬉しいのは、精神的な自立をそれなりに果たしている者同士として、つまり親子としてではなくおとな同士という関係において、考え方や進んでいる道などを同調し合える機会が増えてきているということです。

引越しの話から、気がついてみると子どもに対する思いの話へと移ってしまいましたが、昨日の引越し先を見て感じた感想を伝えてくれた長男と長女をみて「自己責任をそれなりに持つことができているおとな」をまた少し大きく感じられたので、きっとこんな話の流れになったのでしょう。。

家族6人、物質的である見た目はなんとなく似ていますが、みんな魂の質が違うので(妻と長女は本魂と分魂という関係で同質ですが)、今このようにいくつもの魂が家族という形で合わさった中での調和されている様子が、とってもおもしろいと感じています



日記

行ってきます!

2007年09月17日

今日、これから家族で物件を見に南房総まで行ってきます!

ここ4、5日は、今日が楽しみなのと子どもの運動会や親類のことなどなど、気持ち的に落ち着かない日が続いていたために、日記もメールもお休みしていました。でも、今こうして書く気になったので、またきっと日記やらなにやらにいろいろと書き込むと思われます。

私自身、いろいろなことがさらに動き出してまとまってきています。その中で、ネガティブなことは何一つありません。そのときそのときは、とてもたいへんな修行(荒行)に感じたり負けそうになったりすることもありましたが、すべてが解決してみて後ろを振り返った時、アー良かった。あの修行の意味はこれだったのかと、後付でわかることがたくさんありました。

私は、これまでの選択も状況も、最高なものとか完璧なものとかということを思ったことは、一度たりともありません。よりベストな選択をしようと常に心がけることであり、自分の置かれている状況をよりポジティブにシンプルに受容することが、私にとっての修養であると思っていますし、より最高であり完璧に近いものを選択しているとも思ってはいます。

「人間は最高に高いところへは到達できない。なぜなら、最高に高いところにある神に近づくことはできても、神そのものにはなれないからである。上には上がある。これが最高点ということ、完璧であるということ、そんなことを人間が判断することは不可能である。自分の選択したことが、今の自分の歩んでいる道が100%完璧だ。最高だ。間違いない。と受容することを選択したときから、上に行かずに下に降りることを選択したことになる。」

「自分の選択したことにも歩んでいる道も、疑いとか不安とかといったネガティブなものを感じる必要は全くない。そして、常にもっと完璧に近い、最高に近い、そんな選択をしようと反省し続けて、後ろを振り返ってもすぐに前に向かって歩く。それが大切なことである。」ということだそうです。
 
カルマの法則、波動の法則などの完璧である宇宙の法則において陰陽調和されている中、今、この状況に至った自分を、宇宙の中における役割を担っている一部として、完璧である神のもとに存在していることを大いに喜びとして感じています。

日記

地球の夜明け

2007年09月12日

明日のことを考えながら

いつも未来のことを夢見ている


未来の夢を理想に思いつつも

足元の生活を大切にしている


幼い頃からの教えや常識というものに

捉われている自分がいる



だから今というこの次元に

生まれてきたことの意味を感じる


尊い魂のすべての根源は宇宙の中にある

宇宙の法は愛という言葉のみですべてを語りつくせる



やがて迎える地球の夜明けのあとの

この世が普通の世になる


そして始めてあんな時代があったなんて

なつかしく振り返るのだろう


思い出を美しく感じて楽しく思える時

それは今という時が輝いているから

わくわくを選択した結果……やっぱりわくわく

2007年09月11日

昨日の午後3時ごろ、ふと南房総の物件を探したい気持ちになり、パソコンを開いて検索した一つ目のホームページに……なんとびっくり! 私と妻が思い描いていた理想の古民家の物件が載っていました。

海までわりと近いし、小学校や幼稚園は徒歩数分の距離。さらに畑付き。家族6人が住むのに十分な間取り。あっという間にこの古民家のとりこになり、盛り上がりました。今日は興奮冷めやらぬまま、不動産屋に連絡を取り、今度見に行くことが決まりました。そもそも私が引っ越しを選択した理由は……。

私の日記を最初のほうからお読みの方はおわかりでしょうが、それはまあ、よくもこんなにたくさん背負ったものかというほどの数字の、借金と呼ばれる経済的な負担を私は背負っています。そんな中、半年ほど前までは何度もネガティブに受け止めたり、時には自分のこんなに素晴らしい生業までも変えようかということまで考えたりしていましたが……。

ここ3、4カ月は、なんて素敵な学びを与えてくれたのだろうと逆に大感謝しています。その中の大きな学びの一つが、マイホームというものに対する執着からの解放でした。もともと、本当に住みたい場所は走水海域近辺の海の近く。経済的な状況が整ってからという三次元的な考えのもと、夢や希望として考えつつも足踏み状態が続いていました。わくわくを選択すれば、今のわが家は住居としては違うはずなのに、結局は経済的観点という、とっても物質的なことの固定観念や世間の価値観の中にいたために、わくわくすることを選択できなかった私や妻に対して、今回も背中をそっと押していただいた感じです。

そもそも、私と妻が自己責任のもとにわくわくする選択をした中の一つとして大きな方向転換できたことは、家と土地や自家用車、そして世間体といったことを捨てることで、日本の法律のもと道理にかなっているとされる方法にて、経済的な問題を解決しようという選択です。

間もなく愛車のエスティマが私たち家族の物ではなくなるようです。車検直前だし約5年間で15万キロ近くも走った車ですから、金銭的価値というものはほとんどないと思いますが、先日電話があり具体的な日時は決まっていませんが、間もなく渡さなければならないようです。家や土地はまだ何も音沙汰ないけど、早くて来月、遅くても半年以内には渡すことは決まっているようです。

なんだか、このような事実は今の次元ではとてもネガティブなことのようですが、私も妻も一言で表せば「すっきりしたー!」というそう快感でいっぱいです。そして、今後の展開についてをあれこれと考えただけで二人ともわくわく。家族みんなもわくわくです。

ネガティブな発想からはネガティブなことが生じる。私にも妻にも、今回の選択は追い詰められてのネガティブな選択ではなく、明らかに現状においての最高のベストと思うわくわくを選択しての結果です。ポジティンブな発想による選択したことからは、ポジティブなことが生じる。まさに、今、波動の上がる現実的な出来事が、次から次へと沸いて出てきています。

このような経済的状況の事実を最近になって知った私の東京の実家で暮らす両親は、驚くやら心配するやらでたいへんなようですが、私からはいつも笑顔で一言。「思いをかけてくれるのはうれしいから、それを心配という形にしないで安心にしてね」父親はこの言葉に対して、なんのこっちゃ? という感じでとてもネガティブにとらえているようですが、私も妻も人にどう思われるかなんていうことは最初から何も気にしていないので、そんな両親に対しては慈愛の思いを向けています。もし、実家の両親に迷惑をかけるようなことになったら別ですが、特に何も迷惑をかけていないし、家族6人の責任のもとでの選択した結果ですから。
日記

高次元の宇宙人(プレアデス星団)からのメッセージ

2007年09月10日

地球がアセンションするという時を間近にして、今、地球人類が何をすれば良いのかということを具体的に頭で考えるということよりも、良いと思うことを手当たり次第行えば、それが必要であるということになっていく場合が多くあります。

良いと思うことを手当たり次第するとはいっても、がむしゃらに良かれと思うことをするということではなく、愛のあるさりげない、そして感覚的に良いと思うことを選択し続けるということになります。

何かアセンションに向けて、自分なりに、自分のためにも誰かのためにも、何かをしたいとは思っても、それが何なのかを具体的に探そうと思うと、これはとても難しいことになってしまう場合があります。難しいこと、これはあまりシンプルではありませんし、あせるとか気持ちが動揺するとかといったことはネガティブな波動を生み出してしまうので、宇宙が本来求めている必要なことではないことを選択してしまう場合が起こってしまうかもしれないということです。

それには、どうしたらよいかという具体的なことを申し上げますと、これは結局のところ、どんな動機であるかということが大きな起因としていて、あとは勝手に必要なことがめぐってくるということになります。

アセンションに向けて、純粋な愛から発する動機があれば、そこには宇宙という大きな味方がつくわけですし、もっと身近に感じるものとしては地球における霊的存在であり神仏であり、そういったスピリットのバックアップもより得られるということになります。

こういったアセンションの話はまだ先のことであるとか未知なことであるとか、そういったことから地球人類という存在が現実的なこととしてとらえるという意識を強く持つということがなかなか難しい場合もあるようですが、今やることというのは、そんなに先をみるというよりは、目の前のことをいかに充実させて楽しめるかということになります。楽しむとはいっても、ただ笑っていれば良いとか充実していれば良いとかというだけではなく、感動すること、愛を感じて心地よい気分になること、そして何よりも、人や地球や宇宙といった自分以外のものと、楽しいということを共有できるということ、それがとても大切になっていきます。

今、こうしてメッセージを伝えている中の、今回の本題は何かと言いますと、楽しいこと、愛そのもの、というような人がアセンションするのに必要である波動を高めるということに関しての必要なことを、自らが行いつつも、一人でも多くの人類や地球そのものや宇宙と共鳴し合っていくことにより、ともに高まっていくということです。それは、決して大きなことではなく、難しいことでもなく、手間がかかることでもない、個々が意識して実践するという、いたって簡単でありシンプルであるということになります。結果として多くの方々を巻き込んで波動をより高めあうというのもよろしい、家族とか友人知人といった少人数で高め合うのもよろしい。

何であれ、そんな簡単なことを地球人類があますところなく意識として持って実生活を送るというだけで、地球にとっても宇宙にとっても、とても大きな財産となるのです。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

おもいきり屋久島

2007年09月07日

ここ数日間、おもいきり屋久島にぞっこんです。

特に何かあったというわけではありません。

屋久島には行ったことがありません。

直接知人から、屋久島の話しを聞いたこともありません。(最近、屋久島に行ったという方からお土産をいただきましたが・・)

強いて言えば、数ヶ月前でしょうか、オーラの泉で少年隊のひがしの話しを聞いて、いいなあ。。と思ったくらいです。

屋久島について、徹底的に調べています。

すでに、島の地図や風土や歴史などが、どんどん頭に入っていっています。結構、詳しくなっています。

それよりなにより、自分が屋久島で生活をするとしたら・・というイメージが、こと細かに次から次へと浮かんできます。。

あれ!?房総半島南端か紀伊半島南端に住みたいんじゃなかったの?と思いますが、あれも、様々な過去が生み出した固定観念であり執着・・とも思いました。

屋久島に、今はぞっこんです。

行ったことがないのに、すでに私たち家族6人はパラレルワールドでは幸せに暮らしています。3次元的な観点においても、地に足をつけながら、うまく暮らしています。

屋久島や。ああ屋久島や。屋久島や。

今、私の一番のわくわくは屋久島のことを考えること。屋久島にいる自分や家族のことを考えること。

もう、寝る時間なのに、気持ちが抑えきれず・・こんな日記を書いてすっきりしました。明日は息子の中学校の運動会の応援。来年は屋久島かな?さ来年は屋久島高校かな?

何を考えていても、いきつくところは屋久島。おもしろいことに、妻も私よりもちょっと前から屋久島。今も屋久島。下の娘2人は、特にそんな話しをしていないのに、今度南の島に引越しをしたら~・・何をしたいとかどんなに楽しいことが待っているかとかといった話しに盛り上がっています。上の小5の娘は、今の友達と分かれるのがつらくて、ここ4,5日、時々メソメソ泣いています。まだ、具体的な話はしていないのに・・

すっかり我が家は屋久島モード。

今年度中には屋久島。いや、きっと今年中には屋久島。

なんだか、本当に急な話ですが、この盛り上がりはなんだー!と嬉しくなるくらい、屋久島にわくわくしています。

私も妻も子どもたちも、おもいきり屋久島しています
日記

学校現場で働く人(特に教師)の不祥事根絶に向けて思うこと

2007年09月07日

*子どもの教育に携わっているという責務の重大さをより自覚すること

子どもたちが世の中においての経験が足りない未熟さや自立に向けて修養するといった学びの中でも、経験の多い人生の先輩であるおとなを通して学ぶということに観点を絞っていうならば、身近である教師をはじめとした学校教育に携わる職員(以下略して学校職員と称する)から学ぶことが、社会生活の中で学ぶことの中では保護者や近親者などの身近な人と同様か、またはそれ以上に大きいものである場合もある。
 
学校職員からの学びに絞って論じると、学ぶとはいっても様々な方法がある中において、よりベストであるのはポジティブな学びである。

ポジティブな学びとは、知識として必要なことを学ぶこと、学校職員の実生活や言動などの姿を手本として自分にとってのプラスになることを学ぶこと、様々なふれあいの中で愛を感じとることなど、自分を高めるのに良い部分を得ることである。
 
逆に好ましくないネガティブな学びというのは、俗に言う反面教師といわれるものからの逆の学び、否定や制限や強制などによる意思を考慮されない押し付けによる学び、学校職員の強いエゴからくる偏った学びなどである。ちなみに、このネガティブな学びとは本来の意味において良い学びという言葉の定義とは違う場合がほとんどである。
 
地球の将来を担う発展途上の子どもたちに対して教育を行うということを、とても重大な責務を担っているという強い自覚を学校職員すべてが持ち続け、子どもたちに対して常にポジティブな学びの場を与え続けるということが基本であるという強い自覚を持つことが大切であるし、あたりまえでもある。このあたりまえなことを実行することにより、学校職員による不祥事から反面教師的に学ぶという、ネガティブな学びを子どもたちにさせなくてもよくなる。

*教師の時間や心のゆとりをより確保すること
 
自分が幸せでないのに、人が幸せになるために尽くすということ、自分がつらいのに、人に対して楽しみや喜びを感じさせたり分け与えたりするということも、常人にはなかなかできないことである。
 
逆に、自分が幸せだと実感しながら人のために尽力することや幸福感を与えることはとてもスムーズなこと。喜びや充実感といったポジティブな気にあふれている人が、人に対して同様の感覚を伝えたり共感させたりするのも同様である。愛にあふれた人の近くにいるだけでも、人は愛を感じて喜びに浸る。
 
小さい愛からは小さな愛しか生まれてこない。愛のないところからは愛は生まれてこない。ゆとりがないこと、せっぱつまっていること、余裕がないこととは、とてもネガティブなことである。ネガティブなものからはネガティブなものが生まれてくる。
 
教師の資質の向上というと、教育の方法論や技術を得ること、学問上で子どもについてより知識を得ることといった小手先に目を向けることが多いというのが、多年にわたる教育界の特徴のひとつである。
 
しかし、本来の教師の資質というのは、どれだけ愛にあふれているか、実生活を充実させているか、修養により自分自身を高めているかということに起因し、それをどれだけ教育に生かすことができるかということになると思う。
 
そのために、たくさんの問題点がある中で、一番の早急に改善することが必要である事項が、「教師のゆとり」という問題であると思う。
 
教師は一般職ではない特別職である。1日8時間労働ではなく、24時間いつでも職務関係で何かあればできるだけ職務を優先させるとか、子育ても社会生活も何もかもが教育に生きてくるし、何よりも就労時間と私生活との区切りが難しい。さらに、日々の就労の中では、たくさんの子どもたちの命を守ること、教育という重大な責務を担っているということは、精神的な疲労度の大きさは一般的な職業とは大きく違って厳しいものである。
 
そんな中、間違いなく過剰勤務を日々の中で強いられているというのが現状である。教員は様々なことで特別扱いをされているが、どちらかというとネガティブなことが多い。それなのに、特別な考慮を必要とされるようなことが一般職に近づけようとしている傾向にある。
 
その中でも特にここで挙げたいのは、夏休みを始めとする長期休業中の勤務時間に関しても、一般職のように時間を拘束する傾向が年々強まっているということだ。
 
ある先進国では、子どもの夏休みに合わせて、教師も子どもとほぼ同様の長期休暇をとることが許されているという話を聞いたことがある。その間に教師は、日ごろの疲れを癒し、趣味や家族団らんなどの楽しい時間を過ごすなどのゆとりを満喫することができるそうだ。そして、新学期にはあらたなるポジティブな気持ちで子どもたちを迎えるということである。だから、日本の教師が夏休み中に参加させられる研修会や勤務を要する日の多さに驚いていた。
 
時間や心にゆとりが生じることで、ゆとりある時間や心をよりポジティブに生かすことができる教師が増えれば、ポジティブなことが生じやすくなるし、教師の中にあるネガティブな感覚も減少するはずである。そのようになっていけば、ネガティブな状態から生まれる不祥事というネガティブな行為も、当然減少していくはずである。





タイトルに対しての私の考えの中で、100以上ある中の2つだけ書いた・・という感じでしょうか。。この件を述べたら、きりがないほどたくさんあります。。

天職とか適職とかという自覚を持てずに就労している、学校現場で働くみなさーん!子どもたちのことを、あなたがたの立場において、せめて最低限のことだけでもいーですから・・よろしくお願いしますねーーー!
日記

執着・固定観念から自由になるということの必要性

2007年09月04日
アミは高次元の宇宙の存在ですが、私にとっては、たくさんのメッセージをくれる友であり同志でもあります。

昨晩のこと、久しぶりにアミの本「アミ3度めの約束」を手にしていました。特に自分から読もうと思ったわけではなくて、なんとなく読むように促がされたという感じです。アミが私に対して必要であるメッセージを伝えたい時に、本に書かれている内容があてはまる際には、このような手段として伝えてくれることが時折あります。だからとてもわくわくしながら読み始めました。

今回は370ページから読み始め、60ページほど読みました。そこには、今だからこそより実感できること、確認できたこと、より深く受容できたことなど、やはり必要なことがたくさん書かれていました。

中でも~輪廻転生の意味~について書かれている内容が特に心にしみました。以下の文章は、アミが登場人物である三次元の人間との会話の中で述べている言葉です。ここで紹介したくなったので本に書かれている内容をそのまま引用します。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「宇宙は自分たちの創造物が、あらたな経験、あらたな環境、あらたな場所、あらたな人と、あらたな考えに触れることで、進化し、成長していってほしいと考えている。ところがそれをはばむのが、君たち自身の「執着心」なんだ。君たちはあまりにもいろいろなものにしがみつきすぎている。自分たちの場所、自分たちの愛する人、自分たちの物、自分たちの姿、自分たちの考え、思い出……すべてを手放したがらない。君たちが、そういった諸々の執着から自由になって、別の状態へ、別の幸福へと通り抜けるためのたった一つの道は、今、その身にまとっている‘服,つまり肉体……を脱ぎ捨てることだ。肉体が滅び、死を迎えた時にようやく君たちは執着からのがれて、あらたな状態に入ることができるんだ。でも、そのかわりに君たちは、かつての人生の事を何一つ……どんなに愛着のあったものでも……覚えてはいない。でも本当は、一人ひとりの心の奥底に、記憶はひっそりとねむっているんだけど……」

「私たちが死ぬのはそのためなの?」とビンカ(三次元の地球外の人)が尋ねた。

「そう、残念ながら今の君たちがあらたな状態に移るためには、‘死、を利用するほかに道がないんだ。でも、もし君たちがもっと進化した段階の人たちのように、もう少し執着からはなことれることができれば、‘死、という、痛ましくて苦しいプロセスはいらなくなる。進んだ魂たちは、もはや‘死、を通過しなくても、自分の意思だけで簡単に宇宙が用意してくれた新しい状態の中へとびこんでいけるんだよ。しかも前の人生でのことを忘れたりしないでね」      

         ~「アミ3度めの約束」(徳間書店)より~


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 

私自身、数カ月前までは離れることができなかった「執着していた物」がありました。それは、マイホームとして今住んでいる土地と家です。一生住むであろうという固定観念と執着により離れることを恐れていました。でも、いろいろな成り行きの中、数カ月ほど前からは執着も固定観念も全くなくなりました。そして、次なる居住地となる所をわくわくしながら選択し、あらたな生活や出会いなどが楽しみでしかたありません。

経済的な固定観念や執着についても、これまで40年以上の歳月をかけて学んだり常識であると教えられたり、これが良い状態であると固定観念のようになって執着してきたことが、私の中でも妻も同様に、ここ1年半ほどの間に信じられないほど大きく変化しました。

執着や固定観念により、世間では捨てきれないでいる方が多いものの中で、私がこれまでにぬぐい捨ててきたことでも下記のことがとても大きいことであり、今になっても良かったと自負していることでもあるので、書き加えます。

それは、3年半ほど前に公立学校の教育公務員を退職して、あらたなる生業として今のお仕事を始めたということです。それこそ、教育委員会にいくかもしれないという一種の出世といわれるものや、公務員という経済的な安定といわれる状況も捨てました。自分にとって小さいころからの夢であった教員という職業を一生涯の天職としてまっとうしようという固定観念も捨てました。そして、教員というお仕事はそれなりに充実していて楽しんでいましたが、さらにわくわくしてやまない今のお仕事を、何の迷いもなく選択しました。もちろん、妻も子どもたちも賛成してくれました。

今回の家や土地に関しては、執着をぬぐい捨てるのには時間がかかりました。でも、今になって振り返ってみると、たくさんのこれまでに経験してきた修行の中の一つとして、貴重な思い出として心に刻まれようとしています。

ここまでの、個人的な話はさておいて、私がこの日記を通して最も伝えたかったことをまとめます。そもそもアミの言葉がすべてでもありますが……。

ここで伝えたかったことは、執着や固定観念から離れなくてはいけないとか捨てなければいけないとか、そういうふうに執着や固定観念をもつことが良くないというような、否定や戒めのようなことではありません。

人間は本来必要ではない執着や固定観念というものをたくさんもっていて、いつのまにか縛られている場合があるということを、それなりに強く自覚するということは大切なことであるということです。そして、そのような自覚のもと、本来の魂の目的に対してまっすぐに向かっていくために、より幸せな人生を送るために、より愛をめぐらせるために……、数ある選択肢の中から、自分にとって人類にとって地球にとって宇宙にとってベストである選択をするためには、執着や固定権観念というものを、いつでも離したり捨てたり変えたりしよう、またはそのように考えていこうという柔軟な心、つまり執着・固定観念の束縛からから自由になろうとする意識が必要であるということです。

心が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

――この言葉は私の好きな言葉の一つですが、ポジティブなこと、宇宙が人間に対して求めていることを、心を変えて行動を変えてさらに習慣にすること。

私自身はまだまだ未熟であり、やっとこのようなことを意識して少しずつ行動が変わったり習慣になったりしたことがありますが、まだまだ宇宙からみたら発展途上であるということを大いに自覚しています。その自覚のもとに、今後もより一層の修養に励むという意気込みを書きまして、今日の日記を終わりにします。



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