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奉仕するということ

2007年06月28日
人のためにお役に立ちたい。人や地球、とにかく自分以外の何かのために奉仕したい。そう思ってうずうずしたり、なんだか無性に落ち着かなくなったりするという状態を、当ブログの読者のみなさんには経験してきた方が多いと思いますし、現時点でもそのような状態である方も少なくないだろうと思います。

まず、前提として述べておきたいのは、そういった思いを持っているすべての方々に当てはまることは、すでにさまざまな場面において、人のため世のため地球のため宇宙のために大いに役立つことを、現時点でもすでに行っている最中であるということです。中でも「家族のために愛を巡らせる」ということ。これは当たり前のようで、やっぱり持っている愛が大きいからできることなのです。子どものため、ご主人のため、お母さんやお父さんのため……そういった親類に対して「純粋な気持ちで愛をめぐらせる」ということが、実は当たり前のようで当たり前とはいえないというのが、三次元の地球の現実なのです。それを、当たり前と思えるほど日常的に愛をめぐらせているような方が多ければ多いほど、地球の波動はどんどん上がっていきますし、さらに愛に満ちた世の中になっていきます。家族という基本である集団の中で愛を強く大きくめぐらせている方は、さりげなく謙虚であっても、隣人やご縁のある人々に対しても、ナチュラルにさりげなく愛をめぐらせているのです。

家族への愛という意味では、反面教師という言葉のように、自分の親からの学びは理想である学びとは違って反発的なことが多い場合もあります。愛をめぐらせている結果が、不調和を招くこともあります。しかしそれをネガティブなものとするだけではなく、どう受け止めてどのように今の自分に反映させているかということが大切になります。

残念ながら、家族という中でも愛のめぐりが弱くて低い質の状態を時々見受けます。子を思う愛の気持ちが、逆に強い理想を押し付けるとか他者と比較するとかといった親のエゴを押し付けたり、心配や不安や怒りや嫉妬などというとても低い波動になったり、せっかく愛という宇宙の基本法から発している素晴らしいことなのに、結果は低い波動となっていることがよくあります。父母に対しても同じです。大人同士だからこそ生まれる不調和に苦しみ悩むこと。本来は、子どもの見本となり教えを行う責務があるはずなのに……。

でも、エゴとか不安や心配といった低い波動を家族に向けているとはいっても、強い愛という動機から発している場合は、より早くネガティブなエネルギーをめぐらせてしまっているということに気づいて意識的に改善しようとさえすれば、いずれ解決して高い波動にすることができますので、結果的には高い愛の波動に修正できるはずです。ただし、エゴとか不安や心配というようなネガティブな動機から発している場合は、はさらに低い波動を引き起こすことが多いので別物ですが……。


人のため地球のため、とにかく自分以外のもののためにお役に立ちたい。そう思っている方々が実はそれなりに多くいるのに、そして実際にたくさんのお役に立っているのに、なぜ自分自身が納得したり充実感を味わったりするような奉仕ができていないと感じる方がたくさんいらっしゃるか……。

簡単にいえば、三次元的な物質主義のとらえ方と周囲の平均とされる愛の基準の低さによるものであります。

仕事というものは、やっぱりお金というものを得なくてはならないと思うこと。経済的に潤っているという前提があってはじめて、お金を主として必要としない状態で奉仕ができるという考え。お金がなくては普通の生活をしていけないということが基本であるという考え。そういったことが、この三次元の地球の常識のような考えでいる方が多いということからです。

自分が物質的に余裕のあるときには、人のために役立てようとか、社会の中で奉仕をしようとかと思うことができても、自分が少しでも物質的に厳しい状況になると、結局は自分や家族といった身のまわりの人のための保身ということから範囲が狭くなり、愛のめぐりの範囲を狭めて低くしてしまうことがあります。物質的に余裕がなくても、愛の大きさがこれだけ大きい方々ばかりなのだから、霊的な余裕は常にあるはずだし、どんな状況下でも愛に満ちあふれた余裕があるはずです。

真実の愛とは、さりげないもの、謙虚なもの、というように表現されることが多いです。集団で何かをしたり、呼びかけたり、人にはっきりとわかる行為を行ったり……そういった愛あると思われる行動が目立ちますが、実はそうではない、個々が行っているさりげなく謙虚な愛による奉仕は、小さいようでとても大きな愛を生んでいるのです。

少しでも早くできるだけ多くの方が真の愛に目覚め、だれもが本来持っている魂の根本である大きな愛の輝きを放つことができれば、大きな天変地異とか混乱とかといったことを経験しなくても、これだけ愛の満ちあふれる人々が目覚めて集結してきているという順調にアセンションできる状態にきたのだから、よりスムーズに移行できるということ。だって、みんな愛が大きいほうがよいということがわかっているから…。素直になればいいだけのことだから…。本来はとてもシンプルなことだと思いませんか。

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スピリチュアル

結果と経過

2007年06月26日

すべての出来事も自分自身の状況も、全部が経過であり結果でもあるということのお話から始まります。
 ――私が今、パソコンの画面を見た。特に何も考えてはいないけど、またきっとそれなりの答えを書き出すだろうと思っている。日記を書き出した――

これは少し前の今の私の行動と心の状態を表したことですが、すべてが結果ということになります。つまり、瞬間を単位とすれば毎瞬のすべてが結果の連続であるということになります。でも、日記を書くという一つの物事を完了させるという単位でみると、すべてが経過となります。そして、日記を書き終えて読み返し、誤字脱字をチェックし終えて公開した時点で、日記を書くということに関しての結果となります。ただし、今度は私自身の1日という単位でとらえたときには、日記を書いたと言うことは経過に過ぎません。1日を終えた時点を寝る時と考えているので、私が寝るときにどう思っているかとかどのような状態なのかが結果となります。こうして広げていくと、人生が終わるときを結果としてとらえれば、それまでのすべてが経過になりますし、魂の単位になると、人生すべても経過となるわけです。

何を伝えたいかといいますと、私がコメントに書いた「結果」とは、私の考えている単位における結果に限定されてしまうということが前提となるということです。そして、一つの単位でも、五感的(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚でわかること)な観点と波動の観点という二つの観点があります。

私が結果ととらえる単位とは、あのコメントに関していえば二つの単位に限りました。まず、一つは、一つの出来事が終わったと思ったときです。もう一つの単位は、1日という時間で区切っています。ここでいう1日とは、朝起きてから眠るまでの間です。

私は、どちらかというと、一つの出来事の結果よりも1日を単位とした結果を重視しています。その理由はいくつかありますが、一つの理由としては寝る前の波動の状態によって寝ている間の波動が変わってくるからです。私の場合は平均6~7時間は寝ますし、子どもたちはそれ以上に眠ります。寝る前に心配や不安や怒りや強いエゴといった波動が下がった状態のまま寝ようとすると、なかなか寝付けなかったり寝てからも夢見が悪かったり体のバランスを崩してしまい体調が悪くなったりするとか、朝になっても体が重くてなかなか起きられないなどのネガティブな状況になりやすく、1日の始まりである寝起きから波動が下がった状態になってしまいます。逆に、充実感や幸福感などのポジティブな波動のまま眠ればそのまま朝も快適に迎えられます。

他の理由としては、一つの出来事の最中であったり五感的には結果が出ていたりした現象を、その時点ではネガティブにとらえてそのままになっていたとしても、1日の終わり間近に、冷静になって考えて自分なりに整理してみると、逆にとてもポジティブな出来事だったと実感できたとしたら、1日の単位の波動の結果は高いということになるからです。

世間の中では、一つの出来事を終えたときに、結果という表現をする場面が多いと思います。だから、私の一つ目の単位はもっとも一般的であることですし、1日を単位とすることは、きっと次に多いことだと思いますので、やはり特別でもなんでもないということだと思います。だから、きっと私の中では、自分で思うときも人に表現するときも、結果という単位についてを深く考えたことがなかったし、詳しく表現する機会もなかったのだと、今、思いました。

これも当然のことだと思いますが、その結果の中でも、一般的には五感でわかるものを結果と表現して重視する場合が多いのではないかと思います。でも、私の場合は波動がどのようになるかという結果のほうを重視しています。五感でわかる結果が、望んでいた結果として現象化されればポジティブに感じるのは当たり前です。そうでない結果として現象化したとしても、それをどうとらえてどう受け止めたかがすべてであると思っていますし、その波動の結果が少しでも高い状態でいるように修養を積むことが大切だと思っています。

就労して職務を全うする際に、会社や上司から期限を区切られて任せられたことをやり終えることができなかった時、「体調がすぐれなかったために(がんばって努力したのに、などの情緒に訴えることも同様)終わりませんでした」では何の解決にもなりません。結果としては、職務を全うできなかったという五感の結果と、職務を全うしなかったために起きる職場での不調和を生み、職場の人間や自分自身の波動を下げるという結果になってしまいます。

子どものことについては、おとなが行っている教育やしつけといった中において、体調が悪かったとか努力したとかという経過を重視されるのは当然です。結果がどうだったかということよりも、どれだけ努力したか、考えたか、経験を積んだかという経過が評価される場合が多いですし、体調が悪かったのなら仕方がないという情緒の問題で、体調が良くなったらがんばるという結果でも許されるのです。

特に小学校やそれに順ずる場において教師という立場で教育をお仕事としてしていると、子どもたちの経過を評価するということが身についていく人が多いです。これは普通であり良いことでもあるのですが、おとなである自分たちの仕事に関しても同様にとらえる方も中にはいます。忙しくて忘れたとか、私なりにがんばったけど終わらなかった……。そんなことを、公然の理由として位置づけるということがあります。中には、休んで逃げちゃうとかということも。さらに、最後まで自己責任を取らせないで、善意の名のもと、勝手に違う人がやってあげちゃうとか。笑ってごまかして先延ばしにしちゃうなんていうこともあります。経過は単なる経過。仕事が終わっていないという結果は変わらないわけだし、それによって人に迷惑をかけたり不調和を生んだりしたのだから、経過は関係ない。その状況の中で、今後どのようにするかという解決策が重要であるし、何よりもそのような結果に至らないようにするという自己責任があるということを大いに反省し自覚するべきである。ちょっと履き違えてるんじゃないの!?って思いますが、みんなじゃなくて、そういう教師も中にはいるということです。まあ、教師でなくても社会にはそういう人もいるわけなので、ここで限定しないほうが良いわけですが。

ただ、ここで言いたいのは、教師というお仕事はそれなりの大きな役割と責任が必要であるということです。おとなとしての自己責任のもとのお仕事としてこどもを教育し、自分はおとなであるという自覚のもとで、子どもに対しても事務処理や他の職員との連携等の子どもとは接しない部分の職務に関してもまっとうしてほしいということであります。

ここでいう、子どもとおとなの違いは何かといいますと、自己責任の大きさの違いということになります。しっかりとした線引きは難しいかもしれませんが、当然、自己責任が大きいのはおとなで小さいのが子どもということになります。これは、環境・境遇・立場・心身の状態などによって人それぞれだと思いますので、一概に何歳になったらおとなであるといった年齢による定義は難しいです。

「おとなは結果がすべて」という表現については、一言でいえばおとなは自己責任が大きいために、自己責任が伴う出来事が多くなるわけですから、常に一つの単位とした五感的結果がどうであり、波動の結果がどうであるかということも、子どもに比べたら度合いがとても大きいということです。人間の考えた法律も少年法や学校教育法などの主に子どもを保護したおとな以上に結果をとがめずに経過としてとらえて、おとなになってから子どものころの経験をふまえて反省して、どのような自己責任がとれるおとなになるかを期待するというものもあるのは、そういったことからだと思います。

一生を単位とした結果について少し書きます。極端な例えになりますが、今まで、どんなに愛に満ちあふれた生活をしていても、一瞬の魔に侵されて強盗や放火などのとりかえしのつかない罪を犯したとします。それまでの人生における経過がどうであれ、罪を犯した時点の結果は魔と同じ低さです。とりかえしのつかないことをしたことに対して、一生罪を犯したというカルマを背負って生きていかねばならないのです。どんなに素晴らしい生き方をしていて、実際に波動のとても高い状態が続いていたとしても、罪を背負ってその後の一生を終えたとしたら、一生を終えた時点の低い波動のみが自分の魂に積み重ねられます。

逆に、経過が波動の低い状態の連続だったとしても、晩年に気づきや反省を生かすことにより、人のために愛をたくさんめぐらせて奉仕することをして幸せな気持ちで霊界に帰れたとしたら、その人の魂には一生を終える時点での状態である高い波動のみが積み重ねられます。

子どもという立場の場合には、人によっても違うでしょうが、親や親類といった肉親や教師とか社会で接しているおとなが、子どもに対して、さまざまなことを教えてくれたり与えてくれたり環境を整えたり、時には責任の一部を負ってくれたりするといった無償の愛による保護を受けることができる可能性がおとなよりもずっと高いです。3歳児と12歳と40歳では、日本人の平均的な状況としてみたときに、自己責任の度合いは全く違ってくるわけです。3歳児なら、経過がそれなりに道理にかなっていることをしていれば、楽しんでいれば、がんばっていれば、結果が多少失敗したってよいですし、おとなの無償の愛による保護の下、いくらでも学んで修正していけます。

おとなが子どもに与える影響力はとても大きいということ。そして、親が子に与える影響力はさらに大きく、一生を左右させるものとなる場合もあるということ。そんな中、おとなとしての自己責任の中に、自分よりも人生の先が長い確率が高く、自分よりも今世の経験が少ない子どもたちに対して、すべての子どもたちに対してもそうですし、特に自分の子や縁のある子どもたちに対する責任というものもとても大きなものであると意識して強く自覚を持ち生きていくことも大切であるということです。

そういえば、昨日のちょっとかわいそうな出来事を思い出しました。我が子二人と駅近くの大通りで信号待ちをしていたときのことです。私たち3人とサラリーマンと思われる30代前後の2人しかその場にいませんでしたが、子どもたちのいる目の前で、車のなくなった瞬間に、赤信号である中を堂々と渡りはじめたのです。1年生のアマンダも5年生の長女も一瞬あぜんとしていました。私がすぐにアマンダと長女に伝えたこと。子どもの時からの積み重ねという習慣が大切であること。このような場面では、知っている人なら教えてあげればよい。知らない人だったり、言えなかったりした場合には、自分は交通ルールを守ろうという確認をすること。人がやったから自分も渡っちゃえという行動をとると結果は同じ罪になるということ。決して嫌な思いをしたり怒ったりせず、ちょっとくらいがまんすればいいのに、こんなことをするなんてかわいそうな人という慈しみの愛の心を向けてあげること。それが大切であると教えてあげました。そして、最後にみんなで「かわいそうに……」という慈悲の思念を二人のおとなに送ってあげてこの経験による結果としました。
 
最後に……。結果が「すべて」という表現だと経過は関係ないというニュアンスになってしまうのでしょうか。だとしたら、おとなは経過よりも結果を重視、子どもは結果も経過も重視、ということになるのでしょうか。このほうが表現としては柔軟性がありますね。

すべての出来事を瞬時にポジティブにとらえるということは、物質世界における人間としては絶対に無理であると断言できます。突然、後ろから頭を殴られたとします。だれもが、痛い~と思うとか急に何だよと文句を言いたくなるとか、怒るとか悲しくなるとか……何も事態がわからずに殴られても瞬時に許したり感謝したりといたポジティブな状況になる人はいません。極端な例でしたが、つまり瞬時にすべての波動を高めるのは無理なのです。だから、いかに波動を早く高めるか。いかに波動を下げたときの質を抑えるかということです。

この例ですと、怒りの感情という質の低い波動を持たなくても、痛いとかびっくりとしたとかという感情を持つことで波動は下がりますが、状況を確かめてみたら、誰かの手が間違ってぶつかっただけとわかったら、すぐに許すことができるはずです。経過の中の波動をできるだけ下げないように修養していけば、結果も早く高くなれるのです。

経過は一つの結果であり、一つの結果は経過でもある。最終的に、神により輪廻転生という機会を与えていただき、今を生きているわれわれは、一生の中での今という時を、どう生きているかということが大切。いつ、人生を終えて霊界に帰るという結果になってもよいように、できるだけ小さな単位の結果がより波動の高い状態になっているほうが、今も幸せだし霊界に帰ってからも幸せでいられる……ということだそうです。
スピリチュアル

必要なこととしてポジティブに受け止めたい・・・と思うこと

2007年06月25日

今日は体力的にも気力的にも、ちょっときつかった~。

昨日は、船橋駅近くで待ち合わせ。はじめてお会いした方だったけど、3時間ほどのお話をしてみてわかったことは、おもいきりアトランティスでシリウスの人。私の同志探しの旅は続いている。魅力たっぷりで、あっというまに私にとっての一方的な愛人がまた増えた。自分の生きる道をわくわくにしたがってまっすぐにつき進んでいる方。魂は大人で生き方には子ども心満載でありストレートでわくわくを選択しているという、地球人版アミという感じの素敵な方。この方の根本である魂や今世において積み重ねてきた愛や幸福感を表現する女優としての舞台を、ぜひ観に行きたいと思っている。そういえば、アメリカのブロードウェイの話が出てきたときに軽~く聞いたけど、すごい所だと今日知った。

ところで話は変わるけど、昨日の車で船橋に向かう途中のこと、ブレーキをかけるたびになんだか変な音がする。帰りはもっと大きな音に。。今日、振り替え休日の長女とアマンダ(仮名)と3人で、ショッピングモールへ買い物しに行くついでに隣接している車の修理工場に車を出して見てもらった。結果は、ブレーキパットがなくなり、さらにブレーキを使ったために鉄同士が削りあったためにローターも交換。なんと金額は我が家の1か月分の食事代を超えている。。目の前が一瞬灰色になった。我が家にとっては車はなくてはならない必需品。家の次に大切な物質。冷静になって1時間ほど経過した後に、ついに修理を決断。現金は後払い。部品が来るまでには数日かかるとのこと。代車代は高すぎるので、仕方なく車は預けて数日間は車なし生活をすることになった。

娘2人と昼食を食べた後に、駅のバス停に行き時刻表を見てまたまたがっくり・・。なにしろ田舎町なので、次のバスまで1時間20分待ち。。自宅まではいくつかの丘を越えての6kmちょっとの道のり。結局、娘2人の決断は「歩こうか」私も大賛成。やや小雨が時々降ってきたけど、田舎の道は飽きないし、森を抜けたり大木が多いために雨もさえぎてくれる。。先日、私がデンプの誕生日プレゼントを買いに歩いた道と同じ道を歩きながら、野花を積んだり野いちごを食べたり虫を観察したりしながら歩いた。のんびり歩いたせいもあり結局約1時間40分もかかった。

3人で歩いたのは確かに楽しかったけど、本当は今日やろうと思っていたお仕事があった。小1のアマンダには少々この距離はきつかったはず。

でも、これもベストなことであり必然の必要なこと・・なのだろう。。

車をよりによってここまで痛めつける状況になり、さらにお仕事としてこつこつとみなさんからいただいてやっと少しはまともに食べていけると思うほどの量を手にできたチケット(お金)が、あっというまにさようなら。別にチケットには未練がないけど1ヶ月ちょっと分の食費はいたい。。

でも、これもベストなことであり必然の必要なこと・・なのだろう。。

ちょっと休憩したけど、これからまもなくデンプ(4歳の娘の仮名)の保育園のお迎えに行く。車なら片道7,8分。電車で行くと、総歩行距離は往復で4kmほどあるし30分に1本という不便さもあって、1時間以上かかるであろう。

でも、これもベストなことであり必然の必要なこと・・なのだろう。。

ただし「今」の私にはあまり嬉しいとは思えないしベスト1とも思えない。まだまだ修養が足りないのだろうなあ。。まっ・・今日の終わりである寝るまでには、きっときらきらした思い出に変わってくれるのだろうと・・と信じたいなあ・・というところまでである。。

それでは、お迎えに行ってきますー!
日記

素敵な友人アミ

2007年06月19日

こんなにも眠くてしょうがない私に対して、子どもたちが寝床についた夜9時頃になって、アミの本を私に読むように勧める。

アミはいつもそうだけど、私がアミの本を読んでなるほどそうだったのか・・というような新しい事実を得るという状態よりも、あらかじめアミや他の高次元のみなさんが私にインスピレーションやメッセージとして伝えたことの復習本として、アミ3部作を私に活用させる。そのほうが、より心に留まるということらしいし、確信できるからだというが、確かにその通りである。まだ、3冊目の途中であるが、今日もほんの20ページほど読むことを勧められた感想である。

今日も、そんな遊び心いっぱいのアミの策略に、簡単にはまって感動させられた。こんな策略だったら、喜んでいつでもはまりたい。アミは、私にとっては素敵な同志であり友達でもある。

別に、アミの本の出版社と何かを企てているわけではない。こうして、アミの本やアミのことを宣伝する動機は、いたって純粋でありストレートである、アミの本は良い本だしアミは素敵な宇宙人だからみなさんもぜひお友達になるとより幸せな気持ちになれるよ!という、親友紹介のようなものである。
スピリチュアル

夜に思うこと

2007年06月18日
賃貸のヒーリングスペースから自宅に場所を移して、いつその場すら失うかもしれないという状況の下、この現状の中でのベストな選択と思っている、自宅を拠点としたお仕事を再開して一月ほど経った。

子どもたちが小さくてばたばたしている中、生活感あふれる我が家は、とても散らかっている。とてもマメというにはほど遠い私と妻の性格からして、人をお招きするにはんー・・という環境。さらに、お招きする場所であるリビングルームには、魚のすむ水槽が4つ。ウサギが一羽。鳥が2羽。オカヤドカリ君もいる。お越しいただくたびにこの子達の引越しとファブリーズでのにおい消し。それでも、私たちなりに最善を尽くしてお招きする。

嬉しいことに、サロンを賃貸で開設していたときよりも、なぜか自宅に移してからのほうが忙しい。お越しいただく機会も増えたし、出張ということでうかがう機会も極端に増えた。神道フーチのリサーチや水晶などのパワーストーンの購入していただく機会も増えた。しかも、私のこれまでの知人というよりも、ホームページをご覧いただいてのご縁とか、知人の紹介者の紹介者の紹介者・・といったネットワークでご縁を結んだ方が多い。

収入という今世的なことで言えば、賃貸のサロンの維持費の月平均15万円がなくなり、さらにあの頃よりも忙しくなっているので、増していることは確実。でも、借金の利息すら払えていない状況は相変わらず。そんな今世的なことは関係なく、とにかく充実していてわくわくしていて、今世の自分の使命を全うしている感覚という至福感は最高潮である。

今日、我が家にお越しいただいた方は、1時間以上もかけて電車を乗り継いでいらした方で、初対面の方。よくもまあこんな田舎町まで時間を割いてお越しいただけたと、そのご努力に感謝と敬意を表した。2時間ほどのスピリチュアルアドバイス。んー、一言で言って、とっても素敵な魂の高い方が、今、まさにプチ転換期を様々な経験の中から迎えることができたという準備オッケーの、目覚め時の方。思念力がとてつもなく強い方で、最初は私に説教とか欠点を指摘させようとしている思念が強く出ていて、一種の超能力者に思えるほどの方だった。私に、叱られることを望んでいたのだった。だから、私にはあまり情報を与えずに交戦したが(その方の意識の下でのこと)、すぐに打ち砕かれて、とてもストレートでシンプルで穏やかな方という本質に帰った。なかなか最初の頃はメッセージを与えてくれなかったその方のお蔭様も、その方が穏やかになってからはいつものようにたくさんのメッセージを下さった。今回は、あまり具体的なことは少なかったが、なぜかというとその方は、実はすべてといっていいくらいのご自身に起きている出来事の本質をわかっていたからだった。わかっているのに・・最近あったお身内を亡くしたことも大きな要因として、なかなか解決できず、本来持っている楽天的でストレートでシンプルといった最高峰ともいえる魂の本質を、ちょっと見失いかけていただけのこと。

私の大好きなゴルフプレーヤーのさくらちゃん似の素敵なこの方との、今日のこのようなご縁いただいたことに心から感謝した。またひとり愛人が増えて嬉しい。(愛人とは・・愛する人のこと。不倫ではありません。。3月15日の日記に詳しくは書いてあります。。)ミクシィーのことを、帰り際に少し話をする自分がいたが、参加してくれるかどうかはわからない。

明日は、いよいよ・・またまたわくわくの再会。。アトランティスの時からのご縁の、今世における素敵なめぐりが予定されている。少々、わくわくが強すぎて眠くならないタエヌがここに在る。。
日記

古代文明アトランティス

2007年06月15日

私はアトランティスのことを全く意識したことがなかった。古代の文明で存在していたかどうかがなぞである……というくらいの認識しかなかった。それが、昨年末ころから宇宙のみなさんにアトランティスのことをいろいろと教えていただいた。私がアトランティス文明に存在していたこと。そのころの仲間の中の何人もの人と、今世で再会していること(当時の名がドァウ・モエル・アマンダ・デンプ・ゥレリィェール・ユンフィアなどのみんな)アトランティスはどのような文明であったかということ。どのようにして滅びてしまったかということ、などなど。

書店に行って、アトランティスに関する本を何度も開いてみた。面白いことに、読もうとしても読む気にならない。どの本もそうだが、結局は実在していたか否かということに関することとか、どこにあったかとかいつ栄えたとか、そんなことがたくさん書いてあるようだった。当然、今のところは確実に存在していたことを示す物的証拠が残っていないのだからこのような内容になるわけだが、私にとってはやはり興味がわかない。何が真実かとか何が間違いかといったことなどはたいしたことではない。過去のことはすべてがそうだが、過去の事実から何を学び今にどう生かすかが大切。

今、この日記に私がわかっているアトランティスのことを書こうと思ったのに、結局書く気にしてもらえない。今までも、何度も書こうと思ったのに書けない。何人もの方に話したことはあったのに書けない。

今、書けるのは、アトランティス文明の最高の時代とは、人々は愛と大調和の中で暮らし、宇宙のみなさんや地球の神霊界とも今以上に近い存在だったということ、この高次元の存在からたくさんのメッセージや物質的な支援や恵みを与えていただいていたということ。そしてそんな時代は長く続かず、人間のエゴが徐々に強く出てきて、支配とか争いとかが始まり、宇宙のみなさんや神といった存在から遠ざかっていき、結果として崩壊の道を選び水の中に沈んでいったということ。

四次元の世界にとても近かったアトランティス文明が、人間のエゴのために落ちてしまい崩壊してしまったということ。これは、古代文明ムーも同様ということ。

アナカスァトォァル アフォランフィス マイチェル コンフィユードゥ
「この素晴らしきアトランティスの世が永遠に続くことを願う」

サンフィア アフォランフィス
「アトランティスよもう一度」 
スピリチュアル

この日記はどなたかに必要な日記なのでしょうか。

2007年06月14日

アミが来てくれて、いろいろと話してくれます。

あの山の片隅にある、ひとつのれんげの花の紫色の輝きを、きみはどう思うのかい。

アメジストのような美しい輝きを見て、あれって癒しの色だって思ったでしょ。

あの紫に輝く色と、君がいつも感じていた白銀色が、宇宙の基本の色なんだよ。あとは、淡い水色やコバルトブルー、そして金色やあわいピンク色。美しい緑色もそう。今、君に見せたこの淡くて輝いている、なんともいえない美しい色が宇宙にたくさんある、宇宙の愛の色。根本の色。君たちで言う天国の色なんだよ。

また、君とかあなたとかという呼び名を君はいろいろと細かいことをこだわっているけど、今日は君でいいかな。なんだか、とても幼くてかわいらしく見えるから。これって、なんでこんなことをいうかというと、今日の君って、本来の君にとても近づいたからなんだよ。たくさんのものを脱ぎ捨てて、地球人というより、宇宙のより純粋に近いさりげない愛の存在に近づいた、とても僕たちに近い存在になってくれたから、思い出してくれたから、脱してくれたから、久しぶりにとても身近に感じるんだよ。

ああ、本当に素敵なことだよね。一度は失いかけたあの愛の輝きが、こうして自分のものとして努力して取り戻し、さらに輝きを増しているなんて、本当にすごいことだよ、タエヌ。真新しい着ぐるみを着たお人形さんのように、まるで理想の世界に理想の状況で生まれ変わったかのように、純粋にきらびやかに美しく輝いている。あなたは、まるで天使のように飛び立っていく。

アナカスァトォァル アフォランフィス マイチェル コンフィユードゥ

あなたが、アトランティスの世でよく言っていた言葉。「この素晴らしきアトランティスの世が永遠に続くことを願う。」

今、時を越えて、あの素晴らしきアトランティスの世が、今、再びよみがえり続いていこうとしている。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

パパの3つのお仕事

2007年06月14日

つい先日の小5の長女との会話をふと思い出し、日記に書きたくなった。

長女に仕事ってどういう意味だと思うかと尋ねた。
「だれかとか会社とかにやらされること・・?」

私は、仕事とは「人のためにすること」だと答えた。その結果、人から感謝の言葉をいただくこともある。お礼としてお金とか物品とかをいただくこともある。でも、そういった見返りは相手の問題であって、自分はただ単に人のためにできることを行えば、それが「仕事」ということになると話した。

パパの今している3つのお仕事の話もした。
「ひとつは、レイキを伝授したり江原さんみたいなことをしたり、除霊や霊視をしたり、魂や守護霊様とかとつながってメッセージをいただいたことを伝えたりして、そのお礼として主にお金をいただくということ。もうひとつは、ミクシィーの日記を書くこと。家族やパパ自身にきたメッセージは自分たちでわかっていればいいけど、みんなに知らせてほしいメッセージを受け取ったときに知らせるというお仕事がミクシィー。これは、愛を受け取ってみんなに伝えて、みんなからは愛をいただくという素晴らしいお仕事。時々、自分のことも書くけどね。。そして、3つめはとても普通のこと。つまり、料理を作るとか掃除をするとかといった家族のためにするお仕事。」

長女は「ふ~ん。」とそっけなく返事をした。次に口にした言葉は・・「あのさー、関係ないことだけど・・」という言葉から始まって、宿泊学習の楽しかった話を話し始めた。いつもそうだし、自分でもよく言っているが「私って楽しいことばかりあるし、楽しい話をたくさんしたくなるんだよね~。もう、本当になんでも楽しい。。」

究極のポジティブ娘である。
日記

マイシャル(高次元の宇宙人)からのメッセージ

2007年06月14日

今日は久しぶりの完璧なフリーの状態。こんな時、またいつものように、朝、妻や娘を車で送っている最中にたくさんの言葉がわいて出てくる。

帰宅すると、すぐにピキーという宇宙の音が鳴り響き、魂の中心部(直霊)がじわじわと熱くなっていく。体がびりびり感じて軽い眠気のようなものも感じる。気がつくと、パソコンに向かってミクシィを開いて、何かを書こうとしている。書きたくてむずむずする。今日は何を書かせてくれるのか、期待感でわくわくする。気持ちは最高潮に達する。
    ☆      ☆
はじめまして。とはいっても、いつもあなたがたを見ているし、もう古くからの友人でもあるから、あなたがたが思い出してくれればわかることだけれど、今の世の地球という場所で人間と宇宙人という形で会うのは、初めてということになるのかな。でもね、本当は会っているんだけど、難しいね。人の表面的な記憶と本来の記憶とが一致していないということで、なかなか説明ができないや。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、あらためまして、どうぞよろしくお願いします。

今日はアセンションについて、もう少し実感できるような話をさせていただきます。すでに、この友人には話してあるし、わかっているようだけど、実は地球は過去にアセンションということを経験しているのです。

みなさんも、だいたいでも詳しくでもきっとご存知かと思いますが、約6500万年前という、地質学上でいえば中生代白亜紀から新生代第三期に変わるとき、つまり中生代から新生代にかわるとき、この時がアセンションしたときなのです。簡単にいえば、肉食恐竜を中心とした力の強きものが地球全体を征していき、草食動物や体力の弱い生物が生きながらえなくなるという、いわゆる弱肉強食の全盛の世であった中生代といわれる時代から、急激な変化により、恐竜はすべて絶滅し、それ以外の生物も絶滅したもの、あるいはあらたに地球上に出現したものもいます。この大変革こそが、地球が経験したアセンションなのです。

恐竜やアンモナイトなどの中生代の生物が絶滅した要因はいろいろとありますし、地球上の科学においても認識されています。その要因であることを大きくわけて地球的ないいかたをすると二つあります。一つは、天変地異というものです。そしてもう一つは、病気が蔓延したことです。

ありとあらゆる知識の中で、別段、この知識をしっかり持つことが大事ということではありません。この友人は、とてもこのへんに関しての知識はすでにもっているわけですが、ここで言いたいのは、地球が一度はアセンションしたことが、事実としてすでに地球の人の中の多くの方々、特に日本人は基礎的な知識として多くの方々が身につけているということです。

今回、このように順調に人類の進化が進んでいけば、晴れて宇宙の文明社会に仲間入りをする大きな変革であるアセンションすることでしょう。そして、われわれ宇宙全体の輪にとけこみ、ともに友として多くの愛をわかちあえる和の中に、しっかりと認識した状態で加わることができるようになるのです。なんて素晴らしいことなのでしょう。なんて美しいことなのでしょう。こんなに、また地球のみなさんまでも加わった愛の輪のなかで、もっともっと愛を深く感じあえることができるのですから。

地球の次元が上がったときに、今いる生物の中でも、例えばサメのような、魚や人までも食べてしまうような野蛮な肉食の魚類は、地球上から姿を消すことでしょう。猛獣や毒蛇も同様です。みんな、草木や実などを食べて、争うことのない愛に満ちた地球へと変わっていくのです。

それにはどうしても、あの中生代の終わりに起きたような大天変地異や治療が不可能になるような病気が流行するような状態になる可能性が大きいということです。

次元が上がって、この世が大きく変わり、愛に満ちた生活を皆が求めて実感できるようになる。今ある悪性のウイルスとか殺菌類もなくなるので、病気にはならなくなっていく。争いもない、すべてが愛に満ちた平和な世界。宇宙の文明社会ではこれが当たり前のことです。そんな宇宙のみんなで宇宙連合なる地球を応援している集まりをつくっているのだから、この仲間に入ってくれたら、お互いにうれしいことばかり。考えただけでもわくわくしちゃいませんか。

愛しき地球の皆さん。今のご自身の生活をせいいっぱいポジティブに過ごしてください。そして、人を思いやり自分を大切にし、この世もあの世も宇宙も何もかも、ありとあらゆるものに対してたくさんの愛の心を向けてください。すべてが、あなたに、そして地球に宇宙に、カルマとしてめぐっていくのです。

私の名はマイシャルと今、名乗ることに決めました。なんだか地球の言葉でイニシャルという響きが気に入ったからです。それと、マイトレーヤーと深く結ばれていることも含めてです。私は地球からは認識されてない星に存在していますが、アボガド星の宇宙人とでもいっておきます。まあ、私がだれであるなどはどうでもいいことでして、私の言葉が少しでもみなさんのお役に立てたならば光栄であるという思いを込めまして、この場を閉じたいと思います。ありがとうございました。
スピリチュアルメッセージ(オリジナル)

今日はいー天気!

2007年06月13日

きっと千葉銀行の担当職員は驚いたことだろう。というより、あきれてしまったのかもしれない。。

たとえば弁護士を入れての民事再生といった、借金返済のやりかたがある。ただし、一定の収入を得られる就労をしていなくてはならないが・・

銀行員はこの処理をすすめる。私の返答はいつも「十分存じています。」「参考にさせていただきます。」「私なりの選択をします。」

だって、まだはじめての借金パンク状態の人に関しては、破産をしなくても大丈夫でこんな手軽なこの世の法律の処理の仕方があるのだから、なぜ熟知しているのにそうしないのかが、この銀行員からしたら解せなかっただろう。

就労先だって、給料がたくさんもらえる場所を知っているのに、なぜ、儲かりもしない仕事をこうして続けていくのかも解せないだろう。だって、もうこのままいけば、ほんの少し先に家族6人の住む家を手放すというこの世の計算による状況に追い込まれているのに・・なぜ?と私と同年代と思われる人の良さそうな銀行員は、きっと解せなかっただろう。

何よりも、私自身がたんたんとして話をしている姿には驚いているようだった。だって、私自身は、何も怖くないし不安も心配もしていないから。どんなに数字を出されたりこの世的な計算をされて、ほらたいへんだと言われても、私はすでにわかっていることばかりだから、驚きもあわてることもしない。やっぱり、たんたんとして、ちょっと冷めている。

銀行員と応接室のような所で話している最中、私を冷静に見つめるもう一人の私がいた。「この人、本当に平静を保っている。言葉や思考だけではなくて、本当にここまでの域に到達したんだなあ」って。。

朝9時から1時間ほど話をした後、銀行を出て車で家に帰った。家に戻る途中の車中で、弱い自分がちょっとだけ顔を出した。そして、一瞬だけ泣いちゃった。。やっぱり家族の想い出がつまっているから。。。でも、すぐにこの心配とか不安とかといった取り越し苦労から脱して、家に着くなり約40分の長風呂で一気に浄化させた。とりあえず、まだ最低でも1ヶ月半は自由に住むことがこの世の規則では許されているらしいから。。今、こうして住んでいられるので「この先どうなるのかな・・」という心配や不安といったネガティブな気持ちはすべて取り越し苦労だからいらない。だって、物質的なことのみだから、いろいろとネガティブなことを考えたとしても、たとえば今日宝くじを買って大当たりしたら解決しちゃうんだから。。だから、取り越し苦労はせず、ひとつ先までのことを考えて想定し、わくわくすることを選択しながら自分のできる範囲の努力をし続け、あとは目の前のことをひとつひとつ解決するといった「今」を最大限に考えればよい。

今日は庭のあんずを収穫しちゃおう。。これが、今、一番したいこと。アマンダ(小1の娘の仮名)といっしょにあんずを漬ける準備をして楽しもうかな。。それにしても・・

とってもいー天気だ!
日記

今日

2007年06月13日

たくさんの方々に支えられて、私は今ここに在る。

宇宙のみなさん、地球のみなさん、本当にありがとうございます。

身近な方々でいうと、宇宙の同志の方々、地球の神霊界の方々、守護霊様をはじめとしたお蔭様方、昨日の日記に書いた足長おばさんもそうですし、ミクシィーを通して愛をいただいているみなさんもそうですし、家族も、ご縁のあるすべての方々も、みなさん本当にありがとうございます!

今日は、これから、3次元の地球の中では結構厳しい話をしに行く。

我が家のあんずはまもなく収穫できるから大丈夫。桃の収穫は数ヶ月先。収穫したいなあ。。ブルーベリーも私の背丈をはるかに越えるまえで育てたのに、収穫したいなあ。。結構、この家も庭も気に入っているし、家族とのたくさんの思い出が詰まっていて、今の自分にとってはとても大切な場所。でも、所詮は物である。きっと未練など持たないだろう。

でも、やっぱり・・

この世の物質においては無力である自分だからこそ、ぎりぎりまで宇宙やスピリットや人間からのなんらかのご支援を待っている弱い自分もいる。


宇宙の法のもと

常に最良の状態であることはわかっているけど

宇宙よ神よお蔭様よすべてのみなさまよ

どうかより一層ご加護いただき

わが親愛なる家族に幸をこれからももたらしてください!

今までのようにすべてをポジティブに受け止めます

今までのようにすべてに感謝します

今日という日がどんな結果になっても同様に・・

ポジティブに受け止めます。

感謝いたします。



どのようにこの世の法律や千葉銀の規則において審判を下されても・・

心の準備は万端。


そして、すべてを私にとっての唯一絶対である宇宙の法にゆだねる
日記

足長おばさんにいただいたご縁とありがたい恵み・愛に感謝!

2007年06月12日

その方と今世で出会ったのは3ヶ月半ほど前。実は、それより以前の世ではご一緒したことはあるが、表層意識では記憶なし。

とにかくお話をしていておもしろい。ほわほわするし、心から自分が受け入れて、時には応援したり時には心強い存在にもなる。

サロンでの出会いの後、その方のご自宅にお招きいただいたのは一月ちょっと前のこと。それほど離れていないので、気軽に行ける距離。古くからある農村のお宅。実に落ち着く雰囲気のお宅で、近くには田畑があり小山や森林に囲まれている私好みの場所。東京のお知り合いの方を招いていただき、ご自宅をお貸しいただいてのスピリチュアルライフアドバイス。実に4時間というそこそこに長い時間であったが、お昼までごちそうになり閑静なお部屋で充分すぎるほどのポジティブな気の中で、一人の方のお役に立つことができた。

その後も何度もお会いして、あらたなる素敵なご縁をいただいたり、素敵な愛のギフトをいただいたりした。愛のギフトとは、この方の義母であるおばあちゃんの作ったおいしいおいしいおいしい野菜や路地物のイチゴ。そしておもちもおいしかった~。

我が家が、もう参りましたと言って物乞いをするかという惨めな状況の直前になると、そういった愛のギフトをさりげなく下さった。見事なタイミング。時には夕暮れ時になってしまっても、我が家の近くまで愛のギフトを届けていただいたこともあった。子どもたちは野菜やイチゴに大喜び。何より、この足長おばさんとの出会いに感激!何を思ったか4歳の娘のデンプはお尻をさわって喜んでいた・・。我が家の子どもたちがいわく。この方はママと同じくらいの歳でしょ?実は、私の妻とは干支はたぶん同じだけどひとまわり先輩である。夕暮れ時とはいえ、見事な若々しさ。。。そういえば、チケットがなくなり娘デンプの誕生日のケーキ代がまったく無かったときも、あらたなるご縁をいただいて、その方からいただいたチケットによりケーキを購入することができた。前日という土壇場であった。

つい先週いただいたご縁でも、こんな素敵な女性がまだいた~と思えるような方を、この方のご自宅にてご縁を与えていただいた。料理屋を営んでいる方で、ちょっと前から少しでもお金の余裕ができたら行ってみたいなあと思っていた、あるお店の女将さん。この方と約3時間という時間の中で本質を知り、ご縁が深まったことで、次にお会いできることが楽しみで楽しみでわくわくして仕方が無い。

先日に日記でも書いた、ぬか漬けの素晴らしさを教えてくださった、この方のご縁で知り合った方(他にもたくさんの美や恵みも与えてくれたしデンプのケーキ代を与えてくれた人)と娘さん(以前の日記でウタダヒカルのように落ち着いた知的な雰囲気のある方)や、足長おばさんと、あのお店で一杯やるのが今のところの間近にある目標であり小さな夢である。残念ながら、私にはちょっと高級なお店のために、もし家族で飲み食いしたら、我が家の1週間分(現状1日の食費の平均は1500円程度がやっと)の食費が一食で終わる結果になりそうなので、今のところはおあずけ。でも、ぜひ早く行けるようになりたい!

実は、今日もこの方のお宅に行って、水晶のブレスレットとおばあちゃんの作ってくれたおいしいたまねぎと梅干の物々交換をしてきた。さらにおいしいコーヒーもごちそうになりいろいろとお話もできた。気がついたらあっという間の2時間以上。。

帰宅後に、事務的な仕事を済ませた後に、いただいたたまねぎを使っての肉じゃが作り。

梅干は、とてもおいしくて今日だけですでに10個ほど食べちゃった。子どもたちは蜂蜜をつけて食べるとすっぱいけどおいしい~って言っていた。。

大地の恵みに感謝。地球に感謝。宇宙に感謝。この方(足長おばさん)に感謝。足長おばさんのおばあちゃんに感謝。すべてに感謝。
日記

ストレートにシンプルに

2007年06月09日

思念だけでも通じ合える。それが、間もなく迎える予定である四次元の世界。言葉や態度などでのうわべによって自分を偽ることはできない。思念が基本であり、言葉や身ぶりや表情等の物質的な表現は、思念をよりわかりやすく表現するための補助的なものになる。

宇宙の中の、四次元以上に位置するすべての星では、これが当たり前の世界である。お互いが愛し合い、偽りもなく争いもなく、心配とか不安とか怒りとかエゴとかといった、地球的なネガティブなものは存在しない。すべてが宇宙の法であり基本である愛によって大調和のもとに成り立っている。

このまま、地球が順調に上がっていけば、間もなくアセンションする。その素晴らしい次元になってもそのままの自分でいられるよう、シンプルでストレートに自分らしくわくわくする生き方を習慣にすることが、きっととても素敵なことなのであると思う。なんだか、普通のことでもあり、三次元の世ではたいへんなことでもあるようにも思えるが……。
スピリチュアル

ありのままの自分

2007年06月09日

自分をそのままで、ありのままで表現できるってとても楽だし素敵なこと。
シンプルでストレートに、心に思ったことや感じたことを、何一つ隠さずに偽ることも無く表現すること。言葉が中心になるけど表情や態度といったこともすべてにおいて、そのままの表現をすること。とても幸せなこと。

よく夫婦間の隠し事は仕方のないこと。そういわれるけど、私は今の時点では何一つ隠し事がないと断言できる。今、と書いたのは、確かに4、5年ほど前までは隠し事はあった。でも、少なくともここ数年は、妻に対してもそうだが、お会いした方々すべてに対し、私自身の感じたことや思ったことをストレートに表現している。私自身のそのままの魂や心といった状態を、言葉や表情や態度や気などで表現している。この日記もそう。もし、そうしているつもりだったら、それはそれで仕方ないことだけれど、私自身はつもりでないと思っているから、こんなに幸せだと感じることが、今世の中のそれ以前にはなかった。それ以前の私は少なくとも、誰かに対しては余計な気を遣っていた。

最近、なんとなく感じるのだが、自分がすべてをあらいざらいストレートに表現したり偽り無く日々を過ごしたりしていると、逆である偽りを表現している人や事実が、とてもわかりやすくなったと思う。これは、別にすべての人々を見抜いているというようなことではなく、世の中をきっと大きく寛容な気持ちで見渡せるように、神が育ててくれた結果として身に付いたのだと思う。
 
今日放映されたアニメ「しずくちゃん」は、水晶ちゃんという妖精のキャラクターが、人の本心をあからさまにする力を持っていて、言葉で偽りを述べても、本心を暴露してしまうということにより混乱を招くといったストーリーだった。女の子3人が、どうみても変な衣服をまとっているのに「かわいいね~」と言った男の子に対して水晶ちゃんが魔法を使うと「なにー、そのおかしな格好は。よく人前に出られるね~」という本心が暴露され表現される。当然、不調和を起こす。いろいろな人にこのような不調和を起こす場面を繰り返すが、主人公のしずくちゃんは言葉も本心も常に一緒。しずくちゃんが最後に一言「えー!みんなも自分の思ったことだけを言葉にしているんじゃないの??」

アニメのこんなストーリーを見て気づいた。子どもだから素直で正直……ではなく、大人だから素直で正直であるということが、とても素敵なことではないかと、そうでなかったこれまでの自分と今の自分を照らし合わせてそう思った。だって、特にかけひきもなく余計な気も遣わず、普通にシンプルにストレートに自分を表現して、やりたいことややるべき目の前のことを一つ一つやっていけば良いのだから、これってとても楽であり普通に感じること。

でも、今の自分にはお金の問題だけは、気がつくとちょっと先を考えて波動が下がる。ないものはないし、できることはしていく。それに徹しながら、何か自分のしていることに対する物質的な結果という支援やめぐりを待つという感じである。

まあ、なんにしても、本来の意味のわくわくを選択して実生活を送っていれば、きっとなるようになっていき、それが最良の状態であるということ。

宇宙の法の根本である「愛」は絶対である。

宇宙全体の神のすべてである「愛」は絶対である。

とてもシンプルでストレートである。
スピリチュアル

いま

2007年06月09日

今週は久しぶりに、たくさんお仕事をさせていただいた。自分に与えられた、これまで蓄えてきた多くの霊力をフルに発揮することができた。最高に嬉しい一週間。反面、ちょっとエネルギーを使いすぎたために、今日はのんびりした一日を過ごそうと思っていた。

朝はいつもよりも少し遅めの4時50分起床。少しテレビを見た後に、ゆっくりと朝食の準備と息子の弁当作り。息子は部活の練習試合のために6時半には家を出た。ほーっとしたのもつかのま、すぐさま娘たちが起床。みんなで朝食をとる。朝食中に、なんだか伸び放題になっている我が家の垣根を中心とした植木が気になる。結局、妻といっしょに朝食後にたっぷりと汗を流しながらの庭中の植木の剪定作業がはじまり、娘たちも手伝ってくれた。終わってシャワーをあびたら9時半。今度はぬか漬けがしたくなったのと、今日の昼食や夕飯のメニューを考え始めたらうずうずしてきて、すぐに家族で買い物に出かけた。いつも行く農産物店や地元のスーパーで買い物をしたが、いつも以上にとても質の良い新鮮な野菜がてに入って大満足。帰宅後、早速ぬか漬けをしたり昼食の準備や夕飯の煮物をした。なんだかんだで、やっとゆっくりとソファーに座って読書し始めたら午後1時。気がついたらすでにワインをそこそこに飲んでいた。。本を少し読んだら、いつのまにか眠っていたようで時間が30分くらい動いていた。目が覚めたら、久しぶりに日記が書きたくなった。自分の意思では、今日はのんびり・・と思っているのに、何かがそうさせてくれない。でも、確かに霊力や気力はのんびりとしている。人のためということでは、家族のためというとても簡単で普通のお仕事をしているだけ。みんなが楽しんでなごやかで普通に生活している様子を感じるだけで、心が満たされる。家族もそうだし宇宙もそうだし、今日の買い物で出会ったみなさんや、特に農産物店のレジで少し話しこんだ素敵な奥さんの笑顔(オヤジー・・)もそうだし、とにかく今日という日に出会ったすべてに感謝!感謝!

あれー・・まだ午後2時なのに、なぜかいったん今日を閉めている自分が、今、なんだかおかしい。娘2人と妻は昼寝中。上2人は学校関係でお出かけ中。

今日の夕飯は、かぼちゃとあずきの煮物、かつおのたたき、新じゃがの塩バター、きゅうり・にんじん・かぶのつけもの、ソラマメの塩茹で、おいしいお豆腐のやっこ、とうもろこしの塩茹で。塩分は控えめで素材の味重視だけど、ちょっと塩分が多いかも・・。でも、我が家では久しぶりのたくさんの食材が並ぶ、子どもたちが大好きな「おつまみメニュー」

地元の食材がほとんどである今日のメニューに、地元のみなさんに感謝!大地の恵みに感謝!地球に感謝!宇宙に感謝!今という時を幸せに導いてくれたすべてに感謝!

日記

時の流れ

2007年06月04日

ここのところずっとそうだが、1日が早過ぎる。起きたと思ったらもう寝る時間。この比喩は極端だが、でもやっぱり1日がとても早く過ぎていく。

じゃあ、あなたは今日何をしたのといわれても、何か立派な出来事を話せるかどうかは疑問である。でも、特に今年に入ってからは、1日が半分の12時間くらいに感じる。これは、この地球の流れでありアセンションの前兆からくる宇宙からの贈り物というか地球がそんな状態になることを望んでいるというか、そんなところからの状況であるということは、当然のごとくわかっている。でも、これだけ毎日をこうしてしばらくの間、短い1日を実感し続けると、やっぱり面白いから日記というものに書き留めたくなる。

それなりに充実した実生活を送っている人の中には、多かれ少なかれ、この時間の速度が早くなっていると感じることがある人はいるはず。別に感じないから鈍感といったネガティブなものではないが、少しでも実感している方は、自分は要領が悪くなったのかとか歳を重ねたせいなのかなどと、ネガティブに感じなくてもよい。時計の時間やカレンダーといった物質世界の状況は変わらないけど、本当に時間は早く流れるようになっているのだから。

急激に早くなったことにより、心身がついていこうとしていつも以上にがんばっている結果、疲れちゃって眠くなったりぼーっと休みたくなったりする場合もある。何かをそれなりに行っているときはそうならないが、ふとした合間に眠くなる。これは、やっぱり歳のせいとか体力が落ちたとかではない。それだけ、アセンション現象は進んでいて、生身の人間が調和していくのは結構たいへんな場合があるという状況からくるものである。

昨年の10月ごろと、ここ一月半は、わりと急激に流れが早くなった時期。そしてさらに急速に時間が早くなっているのはここ2週間。もし、早いと感じたら、ああ、そういうことなんだって、少しでいいから自覚をしてポジティブに受け止めればすべて解決していく。自覚さえすれば、体や心といった表面的なものが追いつこうとか、そういった認識の中で実生活を普通に送っていこうとかという状態になっていくから。

宇宙に、地球に、すべてに感謝しつつ、心当たりのある方には少しでも参考にしていただけると幸いと思い、私と誰かとで(だれだかわかりませんが、早く書くようにせかす方が早朝よりいます)書きました。
スピリチュアル

ありがとうテレサ

2007年06月02日

私が好きな歌手の一人がテレサ・テン。亡くなる前日に、突然テレサの歌が聴きたくなってカーステレオにベストヒット曲集を流して聴いた。翌日、訃報が流れた。今日、テレサのドラマをみて、今、ふと思い書きたくなったこと。

その時代に必要な人がいる。そのときだからこそ輝く人がいる。そのときだからこそ大きく人々のお役に立てる人がいる。そんな神からの使者である人が、その道を歩み続けてその役割を果たす。こんなに素晴らしい人生は、本来の理想の生き方であると思う。テレサは、そんなお役目を果たした立派な人。

テレサの死に関しては、いろいろと説があるが……私が今わかったことは眠るように亡くなったということ。結果的に、薬によっての副作用や睡眠薬というものが加わったが、本人は苦しむことなく安らかに天命をまっとうしたということ。転生輪廻の目的を100%果たしたということ。

テレサは歌を通して自分のお役目を最大限に表現して人々にお役に立てるよう尽力し続けた。人それぞれ、お役目を果たす手段は違ってくる。違って当たり前。同じ職業でも、人それぞれが違う個々の目的がある。

一般的といわれるこの世とか社会とかの、そういった基準にとらわれないでください。常識といわれる物質社会の基準に惑わされないでください。あなたの基準が正しいのです。三次元であるこの世の基準と感覚的な基準というスピリチュアルな基準と、そして宇宙の法と、融合しているあなたの基準がすべて正しいのです。

少しでも、今の世という中でのすべてが必然であるということ、そして今、急激に次元があがっている最中であるということを感じている方、またはそうであろうということを知った方は、より今の自分が今を生きているということの大切さを実感しつつ、今の自分をしっかりと見つめてポジティブに生きていくことが必要であるということです。今という時を日本人として転生輪廻させてくださった神に感謝し、すべての人が、アセンションに必要だからこその今の世に存在するということが、神の御計らいによる必然であるということを肝に銘じて生きていくことが大切だということです。
スピリチュアル
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